長谷川氏 (織田信秀側室)

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長谷川氏(はせがわし、生没年不詳)は、戦国時代女性織田信秀側室

略歴[編集]

織田信秀の側室で、織田信長側近として活躍した長谷川秀一の生母といわれる。これは『甫庵信長記』を記した小瀬甫庵の著作である『永禄以来事始』に次のようにあるためである。

出頭衆長谷川竹。後、藤五郎、是ハ備後守殿御種、密々之儀有之、御他界之時廿八。

とあるためである。備後守とは信秀のことで、長谷川秀一は信秀の落胤とあり、つまりは信長の兄弟ということになる。ただし、疑問点もある。それは「御他界之時は廿八」とあるところで、廿八とは28歳、ということである。信秀が死去したのは天文20年(1551年)が有力だが、天文21年(1552年)あるいは天文18年(1549年)などもあり、どちらにしても28だと信長より年上で少し疑問点を感じる。また、『張州雑志』では尾張国の豪族・我孫子右京進の子で、長谷川丹波の養子になったのが秀一と記録しており、この説は非常に疑問点を持たれている。

長谷川氏について詳しいことは不明である[1]

脚注[編集]

注釈[編集]

出典[編集]

  1. 岡田 1999, p. 146

参考文献[編集]