郭奕 (頴川)
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郭 奕(かく えき、生没年不詳)は、中国の三国時代の魏の政治家。字は伯益(はくえき)[1]。父は郭嘉。子は郭深・郭敞。孫は郭猟。
生涯[編集]
207年に父が早世したため、その跡を継いで曹操に仕えた[1]。物事の理解が早く知識も豊富で太子文学になるが、父親と同じく早世した[1]。早世親子である。
郭奕と親交のあった王昶によると、「好きな人は山の如く尊敬するが嫌いな人は草の如く軽蔑する」と郭奕が大変度量が狭かったことを評し、その上で自分の息子や甥(兄の子)に対して郭奕を真似てはいけないと訓戒にまでしている[1]。以後の消息は不明。
『三国志演義』では第34回で郭嘉が死去すると、曹操に引き取られて養育されるところで登場するのみである。