運命

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運命(うんめい)とは、人生の道筋において「何を達成してどういう方向へ進むのかを指し示すような何か」をいう。これが確定的になると「宿命」といわれる。
一神教でなく多神教であり、創造神もわりといいかげんな日本人にとっては、単に「運」で片付けられることが多い。

概要[編集]

遺伝的なものもあるし環境もあるが、だいたい人間の運命のパターンは似通っていると信じる人もいて、

  • ヤンキーは若いころぐれるが裏街道を歩まなければ社会人の頃に浮上して幸福な人生が待ち受けている
  • ガリ勉君は大学まで順調でも、社会人になってから人生に躓いてしまう
  • 若くて綺麗な女性は、たいていヤンキーの彼女になって人生を壊してしまう

のだそうだ。「中には例外もあるが。」という話はあるが、いまひとつ説得力に欠けそうに思う。

努力で運命は変えられるというが、「努力できる」というのも才能である。周囲からは「努力家」とされる当該人物が、「好きなことをやってるだけで、努力などというものは一度もしたことがない」と断言したりする。「他にできることがなかったから」という人は多い[1]。もともと努力する才能のある奴がたまたま運命を変えているような気がしてならない。
ちなみに作家になりたくて努力している人はゴマンといるが全員が作家になれるわけではないので、努力だけで運命が変わる気はしないのである。経理事務なら努力が運命を凌駕するかもしれないが、経理に関してもやはり才能の有無がものを言い。努力しても簿記三級にすら受からない層も若干いるのである。あまり努力を過信しない方がいいかもしれない

そうすると「正しい努力をしなかった」「努力の量が足りなかった」と物言いする奴が出てくるわけだが、「努力の方向性を正しく指示する何か」がいなかっただけの話であり、「親や教師が示した方向性が間違っていた」ことの言訳が「運命」であるとも謂える。「家族にロールモデルとなる人物がいなかった」「ロールモデルになる人物と出逢わなかった」というのが原因だろう。バッハは音楽一家だしベルヌイは数学・物理一家だし、キュリー一族のようにノーベル賞受賞者がゾロゾロいる家族がいたりする。これは「たまたま才能があってそういう環境があたりまえだと思って育って、人脈もあったのでなんとなく流れでそうなっちゃったけど、本人は不幸とか不運だとかはぜんぜん思ってましぇーん(笑)」いう人にとっては運命というのは関係がない、という話になる。

占いの立場から[編集]

占い師の立場からすると、運命は不動のものでないと都合が悪く、でも実際には占いが外れる[2]事に象徴されるように、努力で悪運を回避できるケースも多いようである。生れ時間のずれなどでは説明できない不思議なご加護があり、最悪の運命から逃れられる人もいるようである。「だいたいにおいて宗教の信仰があると災難を回避できる」と錢天牛が語っていた。

脚注[編集]

  1. 矢野健太郎や さかなクンはこの類だろう。
  2. 「当たるも八卦、当たらぬも八卦」という。

関連項目[編集]