近衛衍子
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近衛 衍子(このえ さわこ、明治2年(1869年) - 明治24年(1891年))は、日本の女性。内閣総理大臣・近衛文麿の生母[1]。
略歴[編集]
父は加賀藩の最後の藩主・前田慶寧で5女[1]。母は側室・扶伝(筆・梃秀院、家臣の久徳政信の娘)。
公爵・近衛篤麿に嫁いで明治24年(1891年)に長男・文麿を産んだ。しかし産後の肥立ちが悪く間もなく死去したという[1]。22歳没。
残された息子の文麿は衍子の死の翌年に篤麿に嫁いだ異母妹・近衛貞子が継母として育てたが、文麿と貞子は余り仲が良くなかったようで、後にこの母親の早世と継母の育児問題が文麿の性格に大きな影を落としたとされている。