近沢 越後守(ちかざわ えちごのかみ、生没年不詳)は、安土桃山時代の武将。長宗我部氏の家臣。土佐国高岡郡尾川城主[1]。
長宗我部元親に仕え、弓や鉄砲の師範となる。近沢家は弓術師範として名高く、鉄砲の伝来以降は砲術の鍛錬に励んだと言われ、元親の命令で岡豊城下で子弟の教授を行ない、元親も毎月1日には鉄砲揃を視察して近沢を労い、長宗我部軍が勝利した際にその功績の一端が近沢の砲術にありと称賛したこともあったといわれている[1]。