辻原登

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辻原登(つじはら のぼる、1945年12月15日- )は、作家、日本藝術院会員、文化功労者

人物[編集]

本名・村上博。和歌山県日高郡切目川村生まれ。文化学院卒。在学中の1967年、本名で「ミチオ・カンタービレ」で文藝賞に応募し、佳作となる。卒業後、一時帰郷するが再び上京し、中国貿易商社、電算機会社に勤めつつ創作。1985年、辻原登の筆名で書いた「犬かけて」を『文學界』に掲載し、芥川賞候補となるが、落選の上、選評では無視された。90年、やはり『文學界』に載せた「村の名前」で芥川賞受賞。同作は中華人民共和国を舞台にしたもので、選考委員の丸谷才一から高い評価を受けたが、大江健三郎からは、中国に対して失礼だと批判された。当時44歳。1994年に勤めていた会社を退職、作家専業となる。

丸谷才一の派閥に属し、芳賀徹の研究会にも出席しつつ『黒髪』などを書いていたが、自分は純文学雑誌に書きたくて小説家になったのではなく、夏目漱石のように新聞小説を書きたいと考え、プロットを添えて新聞に売り込み、1997年から「読売新聞」に「翔べ麒麟」を連載、同作で98年読売文学賞を受賞。2000年には落語家を描いた連作『遊動亭円木』で谷崎潤一郎賞を受賞。同年「日本経済新聞」に「発熱」を連載。2005年「枯葉の中の青い炎」で川端康成文学賞受賞。同年「朝日新聞」に「花はさくら木」を連載し、06年、同作で大佛次郎賞(朝日新聞主催)を受賞。

2007年「毎日新聞」に「許されざる者」を連載、翌年同作で毎日芸術賞を受賞。2011年『韃靼の馬』で司馬遼太郎賞を受賞。2013年『冬の旅』で伊藤整文学賞を受賞、『新版 熱い読書 冷たい読書』で毎日出版文化賞・書評賞を受賞。2015年日本藝術院賞・恩賜賞を受賞し、日本藝術院会員。2024年、文化功労者となる。