辺 洪(へん こう、? - 204年)は、中国の後漢末期の武将。姓名は辺鴻とも書かれる[1]。
孫権の弟・孫翊の家臣で、媯覧や戴員らと通じて孫翊を殺害するが、自らもその場で口封じのために戴員らに殺害された[1]。