辛島航
東北楽天ゴールデンイーグルス #58 | |
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基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 福岡県福岡市 |
生年月日 | 1990年10月18日(34歳) |
身長 体重 | 173 cm 72 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投左打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 2008年 6位 |
初出場 | 2009年8月13日 |
年俸 | 4000万円(2022年時点) |
辛島航 | |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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辛島 航(からしま わたる、1990年10月18日 - )は、福岡県福岡市博多区出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。東北楽天ゴールデンイーグルス所属。
経歴[編集]
プロ入り前[編集]
小学1年から「冷泉少年ファイターズ」に入団し軟式野球を始め、2年後の小学3年時にソフトボールに転向。小学5年時に外野手と一塁手を守りながら九州大会に出場するなど活躍した。中学校では再び野球に転向し、ボーイズリーグチーム「ドリームフューチャーズ」で硬式野球を始め、中学2年時に本格的に投手へ転向した。
その後、九州の強豪校として知られる飯塚高等学校へ進学。1年時からベンチ入りし、3年時の夏にはエースとしてチームを創部46年目にして初の甲子園初出場に導いた。
プロ入り後[編集]
同年の2008年のドラフト会議にて、東北楽天ゴールデンイーグルスにドラフト6位指名を受け、契約金3000万円・年俸600万円で仮契約した。
プロ初登板は2009年8月13日の福岡ソフトバンクホークス戦で、救援投手として登板した。なお、高卒ルーキーでの一軍登板は田中将大に次ぐ2人目であった。
プロ初勝利は2012年5月2日の埼玉西武ライオンズ戦。6回2/3を1失点でまとめあげての初勝利だった。なお辛島の初勝利には、ともに自主トレを行っていたダルビッシュ有もTwitterにて祝福していた。
また、2019年シーズンは主力投手の則本昂大や岸孝之らを欠く厳しいチーム状況の中、先発としてフル回転。最終的にキャリアハイとなる9勝6敗をマークした。
2020年、オープン戦の先発登板で打ち込まれたことに加えて、二軍監督から昇格した三木肇新監督が、救援投手の起用で相手打者の左右にあまり固執せず[1]、長いイニングを投げられる先発経験者を重視する方針を打ち出したことにより[2]、前年までとは一転してレギュラーシーズンの開幕を一軍の救援要員として迎えた。しかし開幕後の公式戦では、専らリード時ビハインド時を問わないワンポイントの起用で自身2年ぶりのセーブを挙げたものの、0勝1敗1セーブ、防御率6.52と精彩を欠き、8月6日に出場選手登録抹消。二軍降格後は先発要員として調整し1勝1敗、防御率2.61の成績を残し一軍に合流[3]。9月1日の対日本ハム戦(札幌ドーム)に登板したが4回裏の投球中に左ふくらはぎをつり降板[4]するとその後の先発3試合では13イニングで10失点を喫するなど打ち込まれ9月23日に再び登録抹消[5]、10月29日の対西武戦で漸く1勝目をあげた。
選手としての特徴[編集]
身長は173cmとNPBの投手の中では小柄で、平均球速は120~130km/hと決して速球や球の威力で勝負するタイプではないが、それを感じさせない制球力の高さや多彩な変化球でテンポ良く打者を打ち取る。
変化球の質も良く、中でもチェンジアップはパ・リーグでも屈指のボールとして知られており、一時期は決め球として多投していた。
出典[編集]
- ↑ “楽天は高田獲得で競争 高梨も巨人でチャンス/解説”. 日刊スポーツ. (2020年7月14日) 2020年7月22日閲覧。
- ↑ “ロッテとの首位決戦に完勝。楽天の快進撃を支える救援陣の秘密(2)”. 週刊ベースボール. (2020年7月7日) 2020年7月22日閲覧。
- ↑ “楽天辛島一軍合流「先発候補の1人」三木監督が説明”. 日刊スポーツ. (2020年8月28日) 2020年8月28日閲覧。
- ↑ “1年ぶり先発の楽天辛島が緊急降板、ふくらはぎつる”. 日刊スポーツ. (2020年9月1日) 2020年9月1日閲覧。
- ↑ “【23日のプロ野球公示】日本ハムが支配下登録の樋口龍之介と谷内亮太、西武が中村剛也を登録 巨人は支配下登録のウレーニャを登録、パーラを抹消 楽天は辛島航を抹消”. ベースボールチャンネル. (2020年9月23日) 2020-09-023閲覧。