豊崎博光
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豊崎 博光(とよさき ひろみつ、1948年1月27日[1] - )は、フリーランスのフォトジャーナリスト。核問題を取材する。
略歴[編集]
横浜市生まれ[1]。高校生のときハンガリー動乱を伝えたアメリカの写真誌『ライフ』を読んだことがきかっけで写真に興味を持つ[2]。1968年東京写真専門学院(現・専門学校東京ビジュアルアーツ)報道写真科卒[1]。1969年から1970年まで返還前の沖縄や在日朝鮮人・韓国人を取材。1973年にはアメリカの先住民族インディアンを取材。1978年3月の朝日新聞でアメリカの核実験場となったビキニ島の住民が移住を余儀なくされたことを知り、マーシャル諸島を取材。以降、世界各地の核実験場、ウラン鉱石採掘場、原子力発電所などによる核被害、反核・反原発運動を取材する[3]。
核問題を撮影する写真家グループ「アトミック・フォトグラファーズ・ギルド」会員、日本写真家協会(JPS)会員[1]。元公益財団法人第五福竜丸平和協会専門委員[4]。中央大学の「核におおわれた世界」(2012年~2017年12月)[2]、拓殖大学の「核の時代史」などの講座で講師を務める[5]。
受賞歴[編集]
- 1995年12月、『アトミック・エイジ』(築地書館)で第1回平和・協同ジャーナリスト基金賞を受賞[1]。
- 2005年8月、『マーシャル諸島 核の世紀(上・下)』(日本図書センター)で日本ジャーナリスト会議賞(JCJ賞)を受賞[1]。
著作[編集]
- 『アメリカ・インディアン――アメリカ合衆国先住民族の現状』 豊崎博光、1974年
- 『核よ驕るなかれ』 講談社、1982年
- 『グッドバイロンゲラップ――放射能におおわれた島』 築地書館、1986年
- 『サワダ――遺された30,000枚のネガから青森・ベトナム・カンボジア 沢田教一写真集』 沢田教一[撮影]、鍵和田良輔共編、くれせんと、1990年
- 『核汚染の大地――ロンゲラップ・ビキニ・スリーマイル・チェルノブイリ フォトドキュメント1978~1991』 [写真]、大阪人権歴史資料館編、大阪人権歴史資料館、1991年
- 『核を撮る――あるフォトジャーナリストの旅日記』 無明舎出版、1993年
- 『蝕まれる星・地球――ひろがりゆく核汚染』 平和博物館を創る会編、平和のアトリエ(市民ライブラリー)、1995年
- 『アトミック・エイジ――地球被曝はじまりの半世紀』 築地書館、1995年
- 『核の影を追って――ビキニからチェルノブイリへ』 NTT出版(気球の本 Around the world library. シリーズ現代の旅行家)、1996年
- 『写真・絵画集成 原発・核 第1巻 核実験の果てに』 編・著、日本図書センター、1999年
- 『写真・絵画集成 原発・核 第3巻 原発と未来のエネルギー』 広河隆一共編著、日本図書センター、1999年
- 『水爆ブラボー――3月1日ビキニ環礁・第五福竜丸』 安田和也共著、草の根出版会(母と子でみる)、2004年
- 『マーシャル諸島 核の世紀――1914-2004(上・下)』 日本図書センター、2005年
- 『写真記録 原発・核の時代――核開発の果てにあるもの』 日本図書センター、2014年
- 『写真と証言で伝える世界のヒバクシャ 1 マーシャル諸島住民と日本マグロ漁船乗組員』 すいれん舎、2019年
監修[編集]
- 『第五福竜丸は航海中――ビキニ水爆被災事件と被ばく漁船60年の記録 ビキニ水爆実験被災・第五福竜丸被ばく60年記念出版』 第五福竜丸平和協会編、川﨑昭一郎総監修、山村茂雄、奥山修平共監修、第五福竜丸平和協会、2014年
脚注[編集]
- ↑ a b c d e f 10年度第1回 ミクロネシア・統治と核を超えて 恵泉女学園大学
- ↑ a b [時の人]/「核の世界」講師 中大で最終講義/豊崎博光さん/核被害の実態 学生に伝え 沖縄タイムス(2018年1月31日)
- ↑ 書評:豊崎博光『マーシャル諸島 核の世紀 1914-2004』 湘南科学史懇話会
- ↑ 【終了しました】【市民講座】フランス核実験 被害者はいま—汚された太平洋の楽園― 都立第五福竜丸展示館 Official Site
- ↑ 新社会党つくば支部発行『週刊・新社会つくば』第810号(2011年8月28日) つくば市議会議員 金子かずおのホームページ