豊富村 (山梨県)
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豊富村(とよとみむら)は、山梨県東八代郡に存在した村である。平成18年(2006年)2月20日、玉穂町・田富町と合併して中央市となったため消滅した。
概要[編集]
歴史的にみると、かつてこの地方は甲斐源氏の浅利与一(浅井義成)によって支配されていた。この与一は有名な矢使い手である那須与一や左奈田与一と共に三与一の一人として数えられ、壇ノ浦の戦いで敵将・仁井親清(紀四郎)を射抜いたことで有名な人物である。
明治7年(1874年)に豊富村となり、明治22年(1889年)に村制を施行した。
この村は甲府盆地の南に位置し、御坂山地北斜面の丘陵地にあたる村である。山梨県内の養蚕地帯の中核地をなしていたが、近年では野菜や果樹栽培も盛んに行なわれている。見どころとしては先述の浅利与一の層塔や豊富村郷土資料館などがある。
平成]]18年(2006年)2月20日、中巨摩郡玉穂町・田富町と合併して中央市が発足したことにより、豊富村は廃止された。
豊富村の見どころ[編集]
豊富村の特産品[編集]
豊富村の年中行事[編集]
- シルクの里納涼の夕べ(8月中旬)
- 与一まつり(11月23日)