谷野せつ

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谷野 せつ(たにの せつ、1903年1月10日 - 1999年1月28日)は、労働官僚[1]節子とも[2]。日本初の婦人工場監督官補。元労働省婦人少年局長。

経歴[編集]

千葉市千葉寺町で[3]、教育者の落合初太郎の長女として生まれた[1]。1917年千葉県師範学校附属小学校卒業[4]。1919年3月千葉県立千葉高等女学校卒業[1][注 1]。厳格な父から「女はどうせ嫁に行くんだ。大学なんかいく必要ない」といわれ、「便所で隠れて本を読むような少女期を送った」が、高等女学校卒業前に父は死去[2]。1922年4月日本女子大学校社会事業学部女工保全科に入学[1]YWCA活動(有職婦人部)に参加[4]。1926年3月同学校同学部同科卒業。同年4月内務省社会局雇として入省し[1]、日本初の女性行政官となった[5][注 2]。1928年11月内務省社会局属・労働部工場監督官補に任用され[1]、日本初の女子の普通文官、日本初かつ戦前唯一の婦人工場監督官補となった[4]。谷野の任用は女性の役人がいないという海外からの非難をかわすためのもので、当初は工場の視察ではなく「各県の行った労働実態調査結果を取りまとめる仕事」に携わっていた[6]。1935年12月警視庁保安部工場課付の工場監督補に任用され[4]、名実ともに工場監督補として工場の視察と指導に携わるようになった[7]。この間、総同盟婦人部の赤松常子に私淑[2]。1931年結婚[4]

1939年厚生省労働部監督課兼指導課に異動[4]。1940年11月昭和研究会労働問題研究会委員として「女子労働に関する報告」[注 3]を発表し、女子労働の科学的な調査として注目を浴びた[8]。1941年1月厚生省労働部労務監督官補となり[4]、戦時下に勤労動員や女子挺身隊などの女子勤労管理に携わった[6]。同年3月大日本産業報国会厚生局生活指導部に赤松常子、大島美代渡辺松子とともに嘱託として参加[9]。1944年9月厚生省労務官[2]

敗戦後、労働基準法の制定に参画[5]。戦前からその必要性を訴えていた生理休暇の法制化に尽力[10]。1946年3月16日に羽仁説子宮本百合子佐多稲子加藤シヅエ山本杉、赤松常子、山室民子松岡洋子の8人が呼びかけ人となり、婦人民主クラブの創立大会が開かれ、谷野は23人の発起人の1人として加わった[11]。1947年5月厚生省労働基準局婦人労働課長に任用され、中央官庁初の婦人課長となった。同年9月労働省発足で新設の婦人少年局婦人労働課長に任用され、民間出身の山川菊栄初代局長を支えた。1955年8月藤田たきの後を受けて3代目婦人少年局長に任用[2]。1957年国連婦人の地位向上委員会委員(1968年まで)[5]。1965年9月退任[1]

工場監督官補として婦人労働者の保護を求めた報告は『婦人工場監督官の記録――谷野せつ論文集(上・下)』(北川信編、ドメス出版、1985年12月)にまとめられている。

実兄は薬学者の落合英二[12]。実妹のかつは海軍沖縄方面根拠地隊司令官・大田実の妻[13]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. 影山礼子『成瀬仁蔵の教育思想』では1922年卒業。
  2. 同期で入省した女性は賀来俊子渡辺松子との3人だった[2]
  3. 昭和研究会編『女子労働に関する報告』(昭和研究会、1940年11月)、昭和研究会『女子労働に関する報告』(生活社、1940年)として刊行。昭和研究会編『労働新体制研究――昭和研究会労働問題研究会報告』(東洋経済出版部、1941年2月)に収録。

出典[編集]

  1. a b c d e f g 秦郁彦編『日本近現代人物履歴事典』東京大学出版会、2002年、327頁
  2. a b c d e f 鈴木裕子編・著・解説『日本女性運動資料集成 別巻』不二出版、1998年、144頁
  3. 新羅愛子『千葉県女性人名辞典』青史社、1984年、112頁
  4. a b c d e f g 影山礼子『成瀬仁蔵の教育思想――成瀬的プラグマティズムと日本女子大学校における教育』風間書房、1994年、285頁
  5. a b c 中嶌邦「谷野せつ」、朝日新聞社編『「現代日本」朝日人物事典』朝日新聞社、1990年、1015頁
  6. a b 濱口桂一郎『働く女子の運命』文春新書、2015年、40-41頁
  7. 谷野せつ著、北川信編『婦人工場監督官の記録――谷野せつ論文集 上』ドメス出版、1985年、32頁
  8. 三井禮子編『現代婦人運動史年表』三一書房、1963年、167頁
  9. 丸岡秀子、山口美代子編集・解説『日本婦人問題資料集成 第10巻 近代日本婦人問題年表』ドメス出版、1980年、210頁
  10. 田口亜紗『生理休暇の誕生』青弓社ライブラリー、2003年、170頁
  11. 婦人民主クラブ二十年史編纂委員会編『航路二十年――婦人民主クラブの記録』婦人民主クラブ、1967年、14頁
  12. 西川隆『くすりの社会誌――人物と時事で読む33話』薬事日報社、2010年、186頁
  13. 大田英雄『父は沖繩で死んだ――沖繩海軍部隊司令官とその息子の歩いた道』高文研、1989年、39頁

関連文献[編集]

  • 山川菊栄生誕百年を記念する会編『現代フェミニズムと山川菊栄――連続講座「山川菊栄と現代」の記録』(大和書房、1990年)
  • 笹本恒子『輝く明治の女たち――"いま"に生きる45人の肖像』(日本放送出版協会、1992年)
  • 星瑠璃子、山崎れいみ、志賀かう子、吉廣紀代子『桜楓の百人――日本女子大物語』(舵社、1996年)
  • 近現代日本女性人名事典編集委員会編『近現代日本女性人名事典』(ドメス出版、2001年)
  • 岸本葉子『やっと居場所がみつかった』(文藝春秋[文春文庫]、2003年)
  • 高頭麻子「女性のライフコースの質的調査・考―谷野せつの戦中調査をヒントに―」『現代女性とキャリア:日本女子大学現代女性キャリア研究所 紀要』第3号(日本女子大学現代女性キャリア研究所、2011年)
  • 有馬学「戦争と女性の〈主体化〉 : 谷野せつと氏家寿子をめぐって」『史艸』(日本女子大学、2011年)
  • デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説