講釈

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講釈とは、を構えて、釈す(過去の事歴を大衆に理解しやすく、ときに面白おかしく説明する)ことをいう。なお、講談は講釈を基に明治時代に作られた言葉である。のちに講談を冊子にまとめた「講談本」が多く出版された。「講談社」の母体はここに立脚する。

概要[編集]

いわゆる「講師」は、すべて「講釈師」であると謂える。「講座」「講義」など、講釈に由来する語もある。講座の座頭(ざがしら)を「講元」といい、その座のメンバーを「講中」という。

いわゆる「白物」である。講釈師と(神事の一部である)太太神楽は「高座」に上がれたが、いわゆる「色物」(落語や漫才)は、昭和四十年代までは「高いところから失礼いたします」が決まり文句であった。その時代を知らない落語家には、漫才師などを色物扱いする者もいるが、「落語家は色物藝人である」ことを知らないと思われる。落語の種(ネタ)には、講釈を元にした「釈ネタ」もあり、「中村仲三」などが知られている。このあたりは、「古典落語のマスターピース」として知られる六代目三遊亭圓生師匠が多くの論考を著書として遺している。
講釈師にもレパートリー(ネタ)というものがあり、落語では「釈ネタ」として普及したものもある。「中村仲蔵」などがある。
ただし、話を盛った部分も当然あって、そのまま信じてはいけないし、いちおう「正しい」ことを謂っていることを前提とはしているが、リテラシーは持ち合わせていなければならない。「講釈師、見てきたようなことを言い」という川柳もある。
講談師の中には一龍斎貞鳳のように国会議員として活躍した人や一龍斎春水一龍斎貞友のように他分野から転身する人もいる。
「清水の次郎長」や「赤穂浪士」など、現在でも知られているネタもある。「水戸黄門漫遊記」や「遠山の金さん」なども、元は講談として知られていた。
なお、歌舞伎と講釈と落語の親和性は高い。以下にも述べるように、「講釈を聴くと頭がよくなる」とは大雑把にいうと正しいが、学会発表と違って質疑応答の時間がないのが難といえば難である。

学術との関連[編集]

「講座」「講義」「講演」などは講釈との関連が強い。
教壇(プラットフォームというか舞台というか高座というか)に上がって教卓(講釈では釈台という)について教鞭(張扇に相当する)を持って釈を垂れるという点では、まさしく講釈である。
「だったら講釈でもレジュメを配って板書して、いっそパワーポイントでも使うか?(笑)」という意見はあっても当然だし、正当な意見といえる。ただし、講釈は「古典藝能」であり「話藝」であり、「その時、その場」にいる観衆と相対したパフォーミング・アートであり「舞台芸術」という側面があるため、なかなか悩ましいものがある。
講演や論文発表ではその後に質疑応答の時間があり、講義では途中で「何か質問は?」というスタイルも取れるが、舞台藝術だと「出て、演じて、引っ込む」という縛りがあるので、そのぶん裁量の余地が狭い。
その点から言うと、「講師」は裁量の余地が広く「講釈師」は裁量の余地が狭いわけで、教員・教師は講釈に学ぶ必要がありそうに思う。

関連項目[編集]

脚注[編集]