藤井治夫
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藤井 治夫(ふじい はるお、1928年9月3日[1] - 2012年3月2日)は、軍事評論家。「憲法9条―世界へ未来へ 連絡会」(9条連)共同代表[2]。
略歴[編集]
和歌山県出身。1945年山口経済専門学校(現・山口大学)中退。和歌山県地方労働組合評議会専門委員などを経て、1959年上京[1]、日本共産党の機関紙『アカハタ』編集部に勤務[2]。60年安保闘争を契機に軍事問題の研究を開始[1]。日本共産党の機関誌『前衛』1962年8月号~1963年1月号に「自衛隊の現状(1~5)」を連載[3]。その後、共産党を離党[2]。1975年に五味川純平、小山内宏[4]、福島新吾[5]らと軍事問題研究会を設立し事務局長となる[2]。また同会の機関誌『軍事民論』を発行し主筆となる[4][2]。1970年からの小西反軍裁判では特別弁護人を務める[1]。1982年時点で軍事問題研究会代表理事、『軍事民論』発行人[6]。2012年3月1日に脳出血で倒れ、翌日に死去、84歳[2]。
著書[編集]
- 『自衛隊――この戦力』 三一書房(三一新書)、1970年
- 『自衛隊の作戦計画』 三一書房(三一新書)、1971年
- 『日本の国家機密』 現代評論社、1972年
- 『自衛隊と治安出兵――国民に銃を向けるな』 三一書房(三一新書)、1973年
- 『自衛隊を裁け――その軍事機密の追及』 三一書房、1974年
- 『自衛隊クーデタ戦略』 三一書房、1974年
- 『戦争計画――自衛隊戦えば』 三一書房、1978年
- 『日米韓軍事関係の十五年』 「朝鮮問題」懇話会(「朝鮮問題」学習・研究シリーズ)、1980年
- 『自衛隊はかならず敗ける――防衛の原点にかえれ』 三一書房、1980年
- 『なぜ非武装中立か――これが平和と安全のきめ手だ』 すくらむ社(すくらむ文庫)、1982年
- 『ソ連軍事力の徹底研究』 光人社、1982年
- 『核・軍縮問題のわかる本――核戦争が近づいている 軍縮への道』 福島新吾共著、労働教育センター(総評文庫)、1982年
- 『軍事問題の急所』 三一書房(三一新書)、1984年
- 『新日本軍――暴走する自衛隊の素顔』 すくらむ社(すくらむ文庫)、1984年
- 『アメリカ軍事力の徹底研究』 光人社、1986年
- 『ソ連軍事力の徹底研究――最新情報』 光人社、1987年、新訂増補版1991年
- 『ここまで来ている国家秘密法体制』 日本評論社、1989年
- 『天皇と自衛隊の現在を読む――アジア民衆の視座から新皇軍を撃て 対談集』 小西誠、星野安三郎、藤原彰共著、社会批評社、1989年
- 『自衛隊に赤信号――日本防衛の深層を抉る』 オリジン出版センター、1989年
- 『戦争がやってくる』 筑摩書房(ちくまプリマーブックス)、1991年
- 『日米共同作戦の徹底研究――トップ・シークレット』 光人社、1992年
- 『最新安保情報――日米安保再定義と沖縄』 浅井基文共編、社会批評社、1996年
- 『密約――日米安保大改悪の陰謀』 創史社、発売:八月書館、2000年