林茂夫
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林 茂夫(はやし しげお、1927年1月27日 - 2004年7月18日)は、軍事評論家[1]、平和運動家。本名は塩伸一[2]。
略歴[編集]
東京都生まれ[3]。京都大学在学中の1951年、被爆者問題への取り組みを契機に平和運動に参加。以来、核・基地・自衛隊問題などの研究、評論活動を続ける[2]。京大中退後、日本平和委員会に入り[4]、事務局員[5]、常任理事を務めた[6]。日本平和委員会事務局の仲間であった吉川勇一によると、吉川は共産党を除名されたが、林は党籍を保持し続けた[4]。1981年にジュネーヴ条約追加第一議定書に基づく無防備地域宣言運動を提唱した[2]。
2004年7月18日、十二指腸潰瘍による出血性ショックのため、東京都府中市の病院で死去[2]、77歳。
著書[編集]
単著[編集]
- 『自衛隊――その恐るべき実態』 汐文社(解放新書)、1967年
- 『徴兵準備はここまできている』 三一書房、1973年
- 『駐「韓」米軍』 二月社、1978年
- 『朝鮮半島をめぐる軍事問題――日・米・「韓」を中心に』 「朝鮮問題」懇話会(「朝鮮問題」学習・研究シリーズ)、1978年
- 『最新自衛隊学入門――スーパー・メカだけがすべてではない』 二月社、1979年
- 『高校生と自衛隊――広報・募集・徴兵作戦』 高文研、1986年
- 『戦争不参加宣言――国際人道法が保障する自治体にできる平和保障』 日本評論社、1989年
- 『「国際貢献」の旗の下、日本はどこへ行くのか――安保・防衛政策を徹底分析する』 高文研、1993年
- 『Q&Qの時代を生きる――平和・非核への新たな挑戦』 日本評論社、1995年
共著[編集]
- 『自衛隊』 星野安三郎共著、三一書房(三一新書)、1963年
- 『自衛隊――その実態と軍事大国化とは』 松尾高志共著、東研出版(高校生のための現代社会)、1982年、増補版1989年
- 『戦争と平和の事典――現代史を読むキーワード』 松井愈、梅林宏道、渡辺賢二、吉池俊子、綿引光友、伊藤田直史共著、高文研、1995年
編著[編集]
- 『1970年と日本の軍事基地』 畑穣共編、新日本出版社(新日本新書)、1968年
- 『安保黒書』 潮見俊隆、山田昭共編、労働旬報社、1969年
- 『自衛隊の70年代戦略――日本軍国主義はよみがえる』 汐文社(解放新書)、1970年
- 『自衛隊――その知られざる実態』 守田義典共著、日本青年出版社(青年新書)、1972年
- 『国家緊急権の研究』 晩声社(有事体制シリーズ1)、1978年
- 『治安行動の研究』 晩声社(有事体制シリーズ2)、1979年
- 『全文・三矢作戦研究』 晩声社(有事体制シリーズ3)、1979年
- 『平成自衛隊改造――海を渡った“知られざる自衛隊"の実態』 松尾高志共編、労働旬報社、1993年
- 『写真・絵画集成 日本の基地』1-4、松尾高志共編、日本図書センター、2002年
脚注[編集]
- ↑ 林茂夫(はやし しげお)とは コトバンク
- ↑ a b c d 123.無防備地域宣言運動の提唱者、林茂夫さん逝去。75歳。 (2004/07/26掲載) 吉川勇一の個人ホームページ
- ↑ 写真・絵画集成 日本の基地 日本図書センター
- ↑ a b 【出版を祝い林茂夫さんを偲ぶ会 無防備運動を全国に】 民主主義的社会主義運動機関紙『週刊MDS』2006年08月11日発行948号
- ↑ 丸浜江里子「ビキニ事件・原水禁署名運動から60年 : 過去(1953~54年)、そして現在(いま) (ビキニ水爆被災の諸相)」『広島平和研究』2、2015年3月
- ↑ 林茂夫『自衛隊――その恐るべき実態』汐文社(解放新書)、1967年
関連文献[編集]
- 藤井治夫「林茂夫」、朝日新聞社編『「現代日本」朝日人物事典』朝日新聞社、1990年、1311頁
- 池田眞規、古川純、松尾高志、丸山重威、山内敏弘、吉池公史編著『無防備地域運動の源流――林茂夫が残したもの』日本評論社、2006年
- 「平和人物大事典」刊行会編著『平和人物大事典』日本図書センター、2006年