菅沼忠道
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菅沼 忠道(すがぬま ただみち、1566年 - 1603年〈慶長8年〉10月20日)は、戦国時代の三河国の武将。菅沼氏庶流の都田菅沼家4代当主。
生涯[編集]
菅沼忠久の長男として生まれる。母の名は不明。妹に永見新右衛門室と井伊直政の家来の永野十郎室[1]がいる。通称新右衛門。井伊直政に従って、小牧・長久手の戦いに参戦し、武功をあげた。その後、小田原の陣にも参戦した。1603年に病死した。享年38。法名遺秀。妻は不明だが、子には都田菅沼家5代当主の菅沼勝利がいる。
系譜[編集]
父:菅沼忠久
母:不明
妻:不明
子:菅沼勝利
脚注[編集]
- ↑ “寛政重脩諸家譜. 第2輯 - 国立国会図書館デジタルコレクション” (日本語). dl.ndl.go.jp. 2021年7月1日確認。
参考文献[編集]
- 菅沼氏寛政重脩諸家譜. 第2輯 - 国立国会図書館デジタルコレクション” (日本語). dl.ndl.go.jp. 2021年6月22日閲覧。668頁(344コマ)