聴秋閣

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聴秋閣(ちょうしゅうかく)は三渓園内に移築された建築物である。名建築と言われる重要文化財である。

概要[編集]

1623年(元和9年)に3代将軍徳川家光が上洛の際に佐久間将監に命じて二条城内に造らせた説がある。のちに春日局が拝領し、江戸青山の稲葉家下屋敷(春日局の嫁ぎ先)に移築されたとする。稲葉邸では三笠閣と呼ばれていた。1881年(明治14年)に牛込若松町の二条邸に移移った。1922年三渓園内に移築された。

1785年の「御露地草案」に記載に、3代将軍徳川家光が上洛する折に佐久間将監真勝に命じて二条城内に造らせたと記載する。堀口捨巳博士所蔵の絵図に「此茶屋始めは吹上に有し由、当時稲葉氏下やしきに在るなり」と記されている。ここから聴秋閣が最初に立てられた場所は二条城または江戸城内が想定されるが、江戸城・二条城とも元和期の古図がなく、確認できない。当時は建物を拝領して移築することは珍しくなかった。寛永期の大名屋敷の杮葺き、茅葺の建物は「江戸図屏風」に書かれているが、現存するものは本建築が唯一の遺構であり、貴重である[1]

小さな二階を設けた楼閣であり、一階の一部が四十五度に欠けるため、屋根に変化がみられる。 各部の意匠は独創性があり、変化に富む。書院造としての品格があり、茶亭としての機能を取り入れて緻密に構成される。左右対称形を避け、均衡を旨とした。座敷の付書院は斜交する。階上は三方に窓が開く。

基本事項[編集]

  • 名称:聴秋閣
  • 構造:木造、二層楼閣、上層寄棟造、下層入母屋造。杮葺。
  • 間取:一階上の間、次の間、二階二畳及び階段室より成る。二重、上重寄棟造
  • 指定:重要文化財
  • 指定日:1931年12月14日

リンク[編集]

リファレンス[編集]

  1. 平井聖・大岡信(1993)『三渓園』新潮社