種子島時尭
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種子島 時尭(たねがしま ときたか、1528年 - 1579年)は、戦国時代の武将。島津氏家臣。元は大隅国国人。種子島氏14代当主。日本人で初めて鉄砲を入手し、日本人で初めて鉄砲を使った人物として著名である。
概要[編集]
1528年に種子島恵時の子として産まれる。
1542年頃、恵時と対立したが島津貴久による仲介で和睦した。その頃に時尭は家督を継承する。1543年、種子島にポルトガルの船が漂着し、時尭に鉄砲を伝えたという。時尭はその鉄砲が欲しくてたまらず、鋳物師の八板金兵衛に頼んで金兵衛の娘を人質として提供し、鉄砲の製法を教わった。篠川小四郎が火薬を、金兵衛が鉄砲本体の製法を学び鉄砲を製造することに成功した。この二人は、日本人で初めて鉄砲を作った人物である。
同年、島津氏と対立している肝付氏と種子島氏と対立している禰寝氏が同盟を結び、屋久島にて大規模な戦が起こった(禰寝合戦)。この時、楠川城攻防戦で初めて鉄砲を種子島勢が使って追い込み、遂には拠点となる城の城ヶ平城に攻め込まれ、種子島氏に降った。
後に島津氏が種子島氏を取り込み、種子島氏は島津氏家臣となった。1579年死去。
関連項目[編集]
- 禰寝氏
- 島津貴久
- 種子島忠時 (12代当主) - 楠川城を築いた。時尭の祖父。