福江城
ナビゲーションに移動
検索に移動
福江城(ふくえじょう)とは、現在の長崎県五島市池田町に存在した日本の城である。別名を石田城(いしだじょう)という。
概要[編集]
幕末に開国して政情が不安になると、日本の各地で外国船の来航が問題となったため、当地を支配していた藩主の五島氏は、嘉永2年(1849年)から15年の歳月をかけて築城を行ない、文久3年(1863年)に完成させた。日本の中では新しい城のひとつであり、長崎県の史跡に指定されている。
この城は三方に海水を巡らせて外堀とし、水城としては完璧な構えをしていたというが、現在は外堀は埋め立てられている。城内には石垣、横丁口、渡り門などが残り、心字ヶ池を中心とする林泉式庭園や五島邸などがある。
五島邸庭園[編集]
福江城の跡に残っている庭園で、これは文久3年(1863年)に城郭が完成した際に、京都の僧侶・善章が金閣寺の丸池を模倣して造った林泉式庭園である。庭石と築山は溶岩を使用し、その突端は亀の頭に似せているのが特徴で、池は心の字を形どって作られたので「心字が池」と命名された。池の周囲にはヘゴ、大谷渡り、ビロウなどの亜熱帯植物などが繁茂している。