祟り
祟りとは、「神罰」「佛罰」のほか、「霊的な存在に対して不敬な行為を行なった際に受けるとされる禍事」をいう。
概要[編集]
日本においては、神佛混淆の時代が長く続き、「(数え年の)七歳までは神のうち」とされ、現代でも「学齢期未満の小児は祟られない」というのが常識である。江戸時代には、「子供と桶を背負った産婆は大名行列を突っきってもお咎めなし」が定法であった。
神佛のお詣りのしかたが少々間違っていても、神罰とか佛罰とかいったものは当たることはないし、祟られることもない。「ただし世間体を気にして形だけ祀っている」とかいうと、けっこう障りがあったりする。「『聖書研究』がイヤだった」という子供もいれば、「あの坊主の法話は退屈なだけ」とかいった話は数多い。
各宗教における祟り[編集]
いわゆるエホ症の人々は、「エホバ」を「創造神であり全知全能である唯一神」であると信じているようだが、そもそもタブレットに書いてある「十戒」からして二種ある。しかもエホバは「ねたむ神」であり、「失礼な行為をしたり、信仰していた神を変えたり、礼拝を一切やめてしまった時に祟る」という面倒臭い神である。その信者は「『エホバ』じゃなくて『ヤハウェ』『ヤーヴェ』とお呼びしたほうがよろしくはないですか?」とか言うと逆ギレする。
佛教や神道の関係の宗教団体でも似たような話を耳にすることがあるが、お釈迦様やイザナキ・イザナミの神がそんなに了見が狭いとも思えない。ウマシアシカビヒコヂは祟るかもしれないので、松尾様にとりなしていただこう。
「祟りの出方は様々であり、『一番怖いのが自分の身内の(死を含む)不幸という形で出る』とか言うのは統一教会などの一般的な手口である。
佛教系のブログでよく目にする話で、「祟りで怖いのは、佛教系の神様だ」と言われている。つまり、「インドから入ってきて、日本において佛様になっている神様が一番怖い」という。これには誤解があって、「佛」ではなく「天部」に属している方々はアーリア人が侵入してカースト制度を確立する以前にドラヴィダ人に信仰されていた土着の神様である。このあたりはヒンドゥー教のページなどを参照のこと。
「弁天様」のように諸学問に秀で歌舞音曲にも堪能で、しかも脱いでもスゴイんだから、「祟ってください」orz というマニアもいるだろう。この点では「迦楼羅天」は「豊作」「商売繁盛」などの功徳はあるものの、うっかり勧請して形だけ祀って放ったらかしておくと「客が入らない」「家業が傾く」といわれ。迦楼羅天を祀った社は「朱い鳥居」で知られる稲荷神社である。「羽田空港にあった穴守稲荷の赤い鳥居」などが知られている。
なお、学童以前の幼児を虐待する親は、神佛関係なく祟る。「子供にムチを惜しんではならない」とか言ってるやつとか、往来で子供を怒鳴りつけているとか、そういう奴には確実に祟りがくる。「赤ん坊が泣くのは仕事のうち」「ジャリは小粒でうるさいからジャリというのであって、音声拡大装置のような飛び道具を使う教師は卑怯者だ」という意見もあり、「児童虐待の疑いがあるという通報があったのでお話を伺いにまいりました」とかいって児童相談所や巡査が訪ねてくるのは祟り未満である。