神代勝利の墓
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神代勝利の墓(くましろかつとしのはか)とは、佐賀県佐賀市関屋東畑瀬に存在する神代勝利の墓である。
概要[編集]
神代氏は室町時代に山内(神埼郡・佐賀郡・小城郡)の北部の山地)を支配していた国衆で、木山城(大ノ原)・野々城(小副川)・城山(熊川・古湯)などを支配していた。神代勝利は肥前国の守護大名・少弐氏に仕えて龍造寺隆信にたびたび抵抗した名将である。しかし最後は隆信に敗れ、失意のうちに永禄8年(1565年)に畑瀬で死去した。
現在、宝源院に勝利の位牌が安置されている。墓は石垣の上に方形の台座を造り、その上に宝篋印塔が建てられ、周囲に高さおよそ1.5メートルほどの御影石の玉垣が巡らされている。左右には16基の家臣の五輪塔が配置されている。