真喜姫(まきひめ、? - 元亀2年3月29日(1571年4月23日))は、戦国時代の女性。松平広忠の2番目の正室(継室)で、徳川家康の継母である。
三河国田原城主・戸田康光の娘。通称は田原御前。
天文14年(1545年)、広忠が伝通院(於大の方)と離縁したため、後妻として嫁いだ。広忠との間に子宝には恵まれなかったとされるが、広忠が暗殺された後も岡崎城に留まり、元亀2年(1571年)3月29日に死去した。