戸田康光

出典: 謎の百科事典もどき『エンペディア(Enpedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

戸田康光(とだやすみつ 生年不明-天文16年(1547年))とは、三河国渥美郡の武将。田原城主。子に戸田尭光戸田宣光戸田重真徳川家康の義理の祖父。

概要[編集]

  • 享禄2年(1529年)の松平清康の東三河侵攻の際に降伏し、宝飯郡の牧野氏今橋城と八名郡の熊谷氏宇利城攻めに参加する。清康の康から一字とり康光と名乗る。
  • 天文4年(1535年)の尾張攻めでの森山崩れで清康が殺害されると独立の動きを見せ、牧野氏の今橋城に侵攻し奪う事に成功する。その後は松平家と牧野氏が今橋城や二連木城に侵攻してきたが最終的に松平家が織田氏の対応に当たる為撤退していった。
  • 天文14年(1545年)松平家は尾張知多郡で共に対立している水野氏の牽制を行う為もしくはそれまで同盟を結んでいた牧野氏が織田氏に寝返った為同盟を結び、娘の真喜姫を松平広忠の継室として嫁がせる。
  • 天文16年(1547年)にかねてより敵対していた今川家と今橋城で戦うが落城そこで亡くなる。まだそのすぐ後には、二連木城と居城の田原城も今川軍落とされ、戸田氏は降伏し、今川に属した。