王嗣
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王 嗣(おう し、生没年不詳)は、中国の三国時代の蜀の武将。字は承宗(しょうそう)[1]。
生涯[編集]
益州犍為郡資中県(現在の資陽市)の出身[1]。238年から257年の間に功業や徳行が顕著ということで孝廉に推挙され、西安囲督・汶山太守に任命され、さらに安遠将軍にも任命された[1]。王嗣は恩愛と信義をもって羌族を処遇したため羌族も蜀に帰服し、北方の国境地帯は安泰になった[1]。後に姜維が北伐が行なわれると羌族は家畜・毛織物・穀物を供出して姜維を助けた[1]。王嗣は姜維の北伐に従軍し、流れ矢に当たって負傷して数ヵ月後に死去したが、その葬儀には羌族が数千人も参列したという[1]。
『三国志演義』には登場しない。