熊野寮

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京都大学熊野寮(きょうとだいがくくまのりょう)は、京都市左京区東竹屋町に位置する京都大学の学生寄宿舎。1965年に設立された。

概要[編集]

1965年4月5日に「京都大学に在籍する男子の正規学部生専用の寄宿舎」として設立された。現在では女子学生、院生、留学生、科目等履修生を含む、京都大学に籍を置く全ての学生に入寮資格が認められている。

管理人を置かず、居住する学生によって自主的に運営される自治寮である。寮運営のために6つの部会、4つの委員会が置かれ、全寮生はそれぞれ1つ以上の部会、委員会に所属する。また、全寮生に参加義務のある会議が年に2回定期開催され、寮の重要な方針を決定する。

400人以上の寮生が居住し、現存する学生自治寮としては日本最大規模の居住者数を有する。

学生にとっての福利厚生施設としての側面があり、寮の維持費(いわゆる寮費)は極めて安価である。1ヶ月あたりの維持費は4,100円であり、これには寄宿料と水光熱費(一部大学負担)及び共益費が含まれる。

大学で講義のある日には、管理栄養士を含む調理員数名により寮食が提供される。寮の居住者であれば朝昼夕の3食を計820円で購入することができる。

居室は相部屋であり、基本的に1部屋を4人(一部2人部屋も存在)で共有する。

入寮選考は寮生が行い、大学サイドはこれに関与していない。選考に際して、入寮希望者は在寮生から寮運営の仕組みなどの説明を受ける。入寮希望者数が空いている居住スペース(空きキャパシティ)の数を下回る場合は、入寮希望者全員に入寮の権利が与えられる。入寮希望者数が空きキャパシティ数を上回る場合、くじ引きによって入寮者を選考する。この際、経済的に困窮している学生をくじ引きから除き、優先的に入寮させる制度が存在する(経済選考)。

構造・設備[編集]

熊野寮はA棟、B棟、C棟の3つの棟からなる。各4階建ての構造である。

建物[編集]

熊野寮は2期に分けて工事が行われ、1965年の3月にA棟が熊野寮の中で最初の棟として完成した。 翌年の1966年4月に二期目の工事が完了しB・C、食堂が完成した。

設備[編集]

食堂:144席 その他、玄関スペース・地下・中庭などの空間も広く活用されている。 共用シャワー(男女別)、共用キッチン、駐輪場、駐車場、音楽室など生活に必要な設備も用意されている。


沿革[編集]

  • 1963年5月 京都大学学生寄宿舎規定が改定され、第2条に「各寮における寮生活の運営は、寮生の責任ある自治によるものとする」という条文が盛り込まれる。
  • 1963年9月26日 吉田寮総務部が学生部長と会見し、寮生側が新寮建設を要求。
  • 1964年3月4日 京都大学事務局、「熊野寮」の建設計画を明示。
  • 1965年3月 前年8月に着工した第一期工事が終了、A棟が完成。
  • 1965年4月5日 熊野寮開寮(A棟のみ)。168人が入寮し、暫定執行委員会が寮務を遂行。
  • 1965年6月19日~20日 開寮祭を実施。交歓会、演劇、フォークダンス、ファイアーストーム、マラソンなどが催された。
  • 1966年4月11日 第二期工事終了、B棟・C棟・食堂が完成。
  • 1966年5月 寮食堂運営開始。
  • 1966年6月18日~26日 第二回熊野寮祭。競技大会 (卓球、バドミントン、囲碁、将棋)、文化祭典 (サークル発表会、劇、合唱、映画、ギター演奏、弁論大会)、寮祭本祭 (居室開放、模擬店、展示会、フォークダンス、ファイアーストーム、寮生コンパ)、が催された。以後、現在に至るまでほぼ毎年寮祭が開催されている。
  • 1969年3月 自主入寮選考を実施。以後、現在に至るまで寮生の選考は寮生自身の手によって行われている。
  • 1969年7月 食堂調理員5名の臨時職員化(非常勤・日々雇用)。
  • 1971年4月26日 京都大学新聞に初めて熊野寮・吉田寮の新入寮生名簿が初めて掲載された。
  • 1974年4月 女子学生が正式に入寮。
  • 2005年4月1日 京都大学熊野寮食堂運営会が発足
  • 2006年12月22日 寮生大会で「温水シャワーの設置を大学へ要求すること」を決議
  • 2007年7月 シャワー設備が設置される。ガス代は100%寮生負担。1分10円とし、利用者からガス代を徴収する制度が決められた。

熊野寮と大学当局・警察・機動隊について[編集]

熊野寮と大学当局との関係[編集]

熊野寮は「熊野寮のことについては熊野寮生が取り決め、運営する」という原則のもとにある自治寮である。これに対し、学生側と区別して大学運営の中枢に大学当局がある。

熊野寮自治と京都大学当局の間に取り交わされる約束は確約をもって行われる。これは、熊野寮に居住している当事者の意見を無視して大学当局が一方的な決定を下す事を防ぎ、当局と寮自治会が対等な話し合いが出来るようにするために、大学当局側の権力行使に制限をかけるものである。

確約の引き継ぎや新しい案については、団体交渉(団交とも略される)という当事者(寮生、今後入寮予定の京大生、その他関係者)が自由に参加して公開で大学当局と交渉するという形で行われてきた。

この確約について、これまでに大学当局による反故、一方的な決定が過去になされており熊野寮自治会は一方的な決定に反対するために団体交渉を行い続けている。

寮の自治は学生の学問の自由・機会均等を守るために行われてきた。熊野寮にある権利(入退寮権、食堂の権利など)も、経済的に苦しい学生のために熊野寮が自治を長い間行ってきたからこそ得た権利である。

熊野寮が現在もなお、団体交渉によって大学当局に要望を出して学生の権利を守ろうとしているのは、未来の京大生が経済的困窮を理由に学問の自由・機会を得られない状況を解決するためにある。

以下、確約について引用する。

熊野寮自治会と京都大学の基本確約

熊野寮自治会と京都大学は, 2004年3月31日に結ばれた, 両者の確約書に則り, 以下の内容に合意する. 両者は熊野寮が京都大学学生全体に開かれたものであることを確認し, その一層の充実のため誠実にこの確約内容を履行するものとする. 両者は学生の居住する熊野寮の運営に関しては, 当事者であり主体的にその責任を果たす学生の自治によることが最良であることを確認し, この認識を基礎にこの確約を結ぶものである. 本確約は文書としては二通作成し, 両者が一部ずつ所持するものとする.

  • 京都大学は福利厚生施設としての熊野寮を設置し, その施設を維持・管理する. 京都大学は熊野寮の一層の充実に努めるものとする.
  • 京都大学は, 熊野寮の日常的運営が熊野寮自治会によることを確認し, 熊野寮自治会はその運営を誠実に行うよう努力する.
  • 京都大学は, 熊野寮の改廃や新寮および新規寮建設, 熊野寮に関わる人員配置, またその他熊野寮に重大な影響を与え得る事案に関しては, 公開の場で熊野寮自治会と団体交渉を行い, 合意の上決定する. 加えて, 熊野寮自治会と京都大学は, 一方が提示した議題に真摯に取り組むものとする.
  • 熊野寮自治会または京都大学は, 両者の協議の場において, 何らかの条件を付そうとする場合には, 相手側の同意を得るものとする.
  • 熊野寮自治会または京都大学は, 熊野寮に重大な影響を与えうる事案について何らかの計画を構想した段階で, 相手方にその内容を報告するものとする.

京都大学副学長   熊野寮自治会

確約

上記の「熊野寮自治会と京都大学の基本確約」ならびに2010年12月17日の赤松副学長(当時) による「確約書」を基礎にして, 以下の内容を遵守する.

  1. 熊野寮食堂の機能の維持・向上について
    1. 過去に熊野寮食堂の食堂労働者を削減した事実を認める.
    2. 現在の熊野寮食堂の食堂労働者の置かれている労働環境が劣悪であることを認め, その改善に努める.
    3. 熊野寮食堂において, 食中毒が発生したり, 感染症が持ち込まれたりしても, これを理由とした食堂廃止は行わない. また保健所の指摘を理由とした食堂廃止も行わない.
  2. 京都大学熊野寮食堂運営会( 以下, 「食堂運営会」とする) について
    1. 2013年6月21日に改正された「京都大学熊野寮食堂運営会会則」ならびに2014年6月20日に改正された「京都大学熊野寮食堂運営会就業規則」を遵守する.
    2. 食堂運営会雇用調理員に対する一定の雇用責任を認め, 労働災害発生時の補償責任を負う.
  3. 寮内労働者について
    1. 寮内労働者の雇用形態について本来ならば全員大学雇いが望ましいことを認め, その労働環境・労働条件に関しては改善に努める.
    2. 恒常的業務に従事する寮内労働者が退職となった場合には, 後任を補充する. この後任補充の際, 雇用形態や労働条件などの, 労働に関わるすべての条件を, 前任者と同等もしくはそれ以上で確保する.
  4. 寮の生活環境の向上について
    1. 寮自治会から生活環境に関する要求があった場合には, その要求された箇所について調査を行い, そのための工事や改修について検討する. また, その検討結果を速やかに寮自治会に報告する.
  5. 熊野寮に対する家宅捜索などについて
    1. 熊野寮に対する家宅捜索の立会いの方法について, 熊野寮自治会からの要求があった場合には, 熊野寮自治会と協議する.
    2. 熊野寮に対する家宅捜索において, 寮自治会への令状不提示, 過剰警備( 玄関前等の占拠) , 抗議する寮生や掲示物のビデオ・写真撮影など自治や人権を侵害する行為が行われた場合には, その場で抗議する.
    3. 熊野寮に対する家宅捜索が不当であるかどうかを検討し, 寮自治会に対して, その検討内容を明らかにする. 不当であると判断した場合には, 速やかに抗議する.
    4. 熊野寮自治会から「外部団体により不当な扱いを受けたので抗議してほしい」という要求があった場合, 大学職員がその不当な扱いを現認したか否かにかかわらず, 抗議の是非を検討する. また熊野寮自治会からの要求があった場合には, その不当な扱いについて, 熊野寮自治会と協議する.
  6. 桂キャンパスの利用について
    1. 熊野寮生をはじめとする学生の桂キャンパスへの通学において, 不便とならないように努める.
    2. 桂キャンパス周辺に新規寮を建設することを検討する.
  7. 寮自治会と国立大学法人京都大学の関係性について
    1. 中期計画, 年度計画を文部科学省に提出する前に, 寮に対してどのような影響があるのかを寮自治会に対して提示・説明し, 寮自治会からの要求があった場合には, 内容を変更することが可能な協議の場を持つ.
    2. 国立大学法人運営費交付金など大学法人の収入減少を理由とする寮関係予算の削減を行う場合, その重大性などに関する寮自治会との真摯な議論を経て, 寮自治会と合意するものとする.
  8. 団体交渉―確約体制ならびに確約の引継ぎについて
    1. 学生担当理事, 厚生補導担当副学長は, 熊野寮自治会との間において, 団体交渉―確約体制を維持する.
    2. 学生担当理事, 厚生補導担当副学長は, 「熊野寮自治会と京都大学の基本確約」ならびに本確約を, 次期以降の学生担当理事, 厚生補導担当副学長に引継ぐ.

熊野寮と大学当局との団体交渉の歴史[編集]

以下に、これまでに起きた熊野寮と大学当局の確約をめぐった内容について紹介する。

  • 1978年に沢田敏男氏が就任し、引き継ぎ確認を行った。その際に「今後団体交渉はしない」、「寮と学生部の確約については現状に見合わないものもあるから、もう一度全て考え直したい」と確約破棄な発言を行った。
    これを受け、1978年6月8日に熊野寮玄関前にて「京大学寮大集会」を開き、「学生部長団体交渉戦取」、「廃寮化攻撃粉砕」を掲げ学生が結集。同年6月20日から6/28日の期間に学生部前に泊まり込み、沢田学部長に対し、団体交渉に応じること、不当な定員削減・確約破棄の撤回を求めた。交渉は進展することなく、同年7月19日に京大当局が団体交渉に機動隊を導入し、寮職員・学生を団体交渉会場から締め出した。
  • 1979年8月に学生部長に翠川修氏が就任。引き継ぎ団体交渉を要求する中、翆川学生部長が「寮は不法占拠状態である」と発言。これに際し、同年11月20日に廃寮化攻撃粉砕を掲げた全額集会が発足し、200名が参加した。同年12月15日に不誠実な対応をとる翠川学生部長を追求するも退去命令が出され、機動隊も学内に導入された。
  • 1980年1月、翠川学生部長は「学寮における当面の諸課題に関する学生部の基本的な方針について」という文書名の通知を熊野寮に送った。内容は「大衆団体交渉は行わない。在寮者名簿の提出、寄宿料の納入の要求。今後退職する炊事人について、国費による補充は不可能」と言った内容である。
    これを受けて同年1月31日に時計台前で「回答戦取、1・10廃寮通告糾弾全学集会」が開催された。その後も交渉は拒否され、同年4月16日にも教養部正門前で「12・15弾圧粉砕、公判闘争勝利、廃寮化攻撃粉砕全学総決起集会」が開催され、集会後には教養部・本部・北部構内でデモ行進が行われた。
  • 1981年6月5日、藤原学生部長より「入退寮の届け出等について」と題する文章が新入寮生宛に届いた。そこには在寮確認と寄宿料の納付を義務付ける内容がかかれていた。また、新入寮生の親元にも「寄宿寮入寮について(ご依頼)」と題する文書が送付、在寮者に対しても「在寮者の確認及び寄宿寮の納入について」という文章が送られた。
    そして熊野寮自治会委員長に対しても「在寮者の確認及び寄宿寮の納入について」という文章が内容証明郵便で送付。
    これに対し、同年6月17日に在寮者「確認」に反対する全学集会が270名で行われ、集会後に150名が参加して学内でもを実施した。
    同年6月22日、京都府警が熊野寮の委員会室を捜索。早朝7時に約30名の機動隊が寮内に無断で入り、委員会室周辺を制圧。約40分間にわたり委員会室内を捜索し、ヘルメット等を押収した。
    このときの捜索理由は同年6月17日の闘争での建本学生部次長への「暴行・傷害」である。
    同年7月14日、学生部が通告文書を送付。在寮確認に応じなかった各寮生に対して、在寮者として認めることは出来ない旨の通告文書を送付した。これがきっかけとなり同年12月15日、教養部A号館前にて「入寮募集停止阻止」の全学集会が行われ、約500名が参加する規模となった。
  • 1982年10月12日学生部長が文書を公表。「本学の学寮問題について」という題目で「両問題を解決するため、新寮の建設を含めて、学寮の正常化を実現する」という基本方針を提示。その具体的内容として在寮起源の検討を明示されていた。同年10月18日に厚生課に対し、基本方針の撤回を求めた。そして同年10月27日に「「基本方針」撤回、寮闘争勝利」をスローガンとした全学集会が開かれた。約300名が参加し、学内デモが行われた。
  • 1983年1月29日神野学生部長と団体交渉。4年半ぶりに4寮自治会と学生部長との間で話し合いのばが設けられた。場所は法経2番教室で、約500名が参加した。
    確約文面は次の内容であった。
  1. 寮生を含む多人数の参加する公開の場での話し合いは、不都合はない。
  2. 就任以来、寮生と話し合いを持たなかったことを反省する。

同年2月7日、学生部長団体交渉が行われる。 神野学生部長と2回目の団体交渉が法経7番教室にて行われ、約400名が参加した。確約文面は以下の通り。

  1. 負担区分問題に関しては、継続して話し合いをしたい。
  2. 話し合いの合意が得られるまでは、負担区分の額の決定。請求及び、その実質化としての寮食堂からの炊夫引き揚げを行わない。
  3. その間、負担区分の先取りとして実質化されていた措置を撤回する。
  4. 熊野寮の暖房ボイラーを補修する。(1982年11月20日に暖房が稼働せず大学当局は暖房用ボイラーの修理を拒否した。)
  5. 吉田寮の補修は適宜行う。(1982年12月14日に京都大学評議会が老朽化を理由に1986年3月をもって吉田寮の廃寮化を決定していた。)
  • 1983年2月14日、学生部長団体交渉。神野学生部長は「話し合いの対象が確定しなければ、話し合いはできない。在寮者確認と寄宿料が話し合いの前提だ」と発言しそのまま団体交渉は終了した。
    同年5月18日、4月に行われた闘争を口実に送料、熊野寮・吉田寮に対して京都府警が寮内を捜索した。さらに昼休みに弾圧抗議を行った寮生に対し、大学当局は学内に機動隊を導入。この過程で8名が逮捕された。同年6月2日、全学集会。集会では5月18日の弾圧での大学当局による学友の売渡しを弾劾。廃料化攻撃と対決することを確認。
    同年9月26日、熊野寮自治会常任委員会が負担区分問題で譲歩する方針を提起。「厨房内設備改善を勝ち取るために、負担区分問題について”払う”方向で当局と交渉に入る。」という方針を全寮に提起。
    この頃、学生部は「寮生が負担区分を支払わぬ限り、厨房内設備の改善は行わない。さらには炊夫配転をも強行する」という姿勢を取り続けた。この結果、設備改善・食堂防衛を選択し、同年12月14日に1ヶ月分の水光熱費の負担区分を支払うと寮生大会で決議。
  • 1991年3月19日、佐野学生部長と団体交渉が行われた。名簿・寄宿寮問題で以下の確約を提示し、佐野学生部長と合意。
  1. 寮自治会は1991年4月以降入退寮者名を京大新聞紙上に発表する。
  2. 両自治会は寄宿寮を1991年4月以降毎月10日までに一括して支払う。
  3. 入学案内、学生便覧に掲載する入寮対象者は本学学生(本学に学籍のある者)とする。
  4. 寮に関する事柄は寮自治会と話し合うことなく、一方的な決定をくださない。
  5. 1. 2.項が順守されている限り、寮食堂の存続を含めた寮機能の回復、維持に務め、かつ、寮機能維持のための職員については今後も現員数が配置できるよう努力する。
  6. 新しい寮の建設に関しては、寮自治会と十分に話し合う。
  7. この合意事項は次期以降の学生部長に引き継ぐ。

また、口頭で確認した事項として

  • 寮自治会が行う入退寮選考については干渉しない。
  • 今後も名簿の提出を強要しない。
  • 3項に示した「本学に学籍のある者」とは医短生、院生、聴講生も含む者である。

以上の3点は、本文と同時に次期以降の学生部長に引き継ぐ。

  • 1997年6月24日 評議会で次年度からの副学長制導入が決定。同年7月1日に学生団体が井村総長に公開質問状を提出し、「副学長制導入、学生部再編が学生をはじめとした当事者へ告知されず、合意形成もないまま、評議会決定されたことについてどう考えるか」など3項目について回答を求めた。
    同年7月11日、総長団体交渉が行われた。総長は学生・当事者を無視した決定について「問題ない」と回答し、再度話し合いの場を持つと確認し終了した。
    同年10月9日、2回目の総長団交が行われた。総長に副学長制導入、寮問題などにについて追求。「寮問題に関しては学生部を通じて君たちと十分に話し合うという姿勢です」、「現寮の扱いについても今まで通り学生部と話し合って決定します」と言明した。しかし、総長は確約書にサインすることを渋り交渉は平行線をたどった。
  • 1998年4月、副学長制が導入され、事務局が再編された。
    同年12月2日、三好副学長と団体交渉が行われた。主に「過去の確約の遵守」、「公開での話し合い」、「寮の物品補充・補修」、「寮内労働者の雇用形態」、「労働条件の確保」、「次期以降の副学長への引き継ぎ」等に関して話し合いがされた。
  • 1999年12月20日、宮崎副学長との団体交渉。三好副学長の確約の引き継ぎや、京都府警による捜索に関する内容について確認した。
  • 2001年11月28日、京都府警が熊野寮を捜索。サルダール・カーン・バハァドル氏(寮生)の部屋に対して出入国管理及び難民認定法違反などの容疑で捜索された。この時、玄関前で抗議していた寮生1名が公務執行妨害の容疑で逮捕された。機動隊は彼の来ていた服を剥がし、安全靴で踏みつけるといった暴挙に出、その他寮生も負傷する事態となった。
    これを受け、同年11月30日から12月1日にかけて、尾池副学長との団体交渉を行った。
    寮生側は捜索や逮捕の現場を再現し、暴行の瞬間を黙ってみていた厚生課長補佐を追求した。
    そして以下の確約を求めた。
  1. 弾圧の際に京都府警により逮捕された2名をただちに釈放させるよう可能な限りのことを行う。
  2. 警察による激しい暴行、ビデオ撮影等の人権侵害が行われたことを認める。現場で制止できなかったことへの謝罪。
  3. 二度と繰り返さない為に、立ち会いの仕方について自治会からの抗議をもとに改善する。
  • 2002年2月13日、尾池副学長との団体交渉。バハァドル氏が京都大学から差別を受け排除された疑いについて調査を行うことの検討。熊野寮捜索についての団体交渉の場の要求について交渉した。
    同年9月25日に大阪入管局に収容されていたバハァドル氏が仮放免された。
    同年10月30日、尾池副学長と引き継ぎ団体交渉を行った。
    確約文面は以下の通り(抜粋)。
  1. 1991年3月19日の「学生部長と熊野寮自治会との合意事項」及び1999年12月20日の宮崎副学長(当時)の確約書に基づき以下の事項を遵守する。
    1. 熊野寮の運営は、寮生の自治によるものとし、今後とも団体交渉一確約体制は変えない。
    2. 寮食堂の存続を含めた寮機能の回復、維持、向上に務める。
  2. 寮生の生活環境の向上に努める。
    1. 寮内に「温水シャワー」を、水光熱費の負担「区分」は現行のままで設置することを検討する。
    2. 丸太町通り沿い及び駐輪場・駐車場に照明灯を設置する。
    3. 電気容量の増大に向けて、調査を行い、工事を検討する。
    4. トイレについて、できるだけ速やかに排水等を調査し、改修を検討する。
  3. 熊野寮に対する捜索について
    1. 捜索の立ち会いについて、寮生と話し合うよう第三小委員会に働きかける。
    2. 自治会への令状不提示、過剰警備(玄関前等の占拠)、抗議する寮生や掲示物のビデオ・写真撮影など自治や人権を侵害する行為が行われた場合、その場で抗議する。
    3. 捜索が政治的な弾圧かどうか学習・検討し検討内容を明らかにする。不当だと判断した場合は抗議する。
  4. 新しい寮の建設に関しては、寮自治会と十分に話し合う。
  5. 桂キャンパスについて研究室が移転するが学生が通学において不利益が被らないよう担当部局に働きかけること。
  6. 独立行政法人化について寮に関わることの報告、確約の遵守、次期副学長への引き継ぎ
  • 2008年10月1日松本絋総長体制が発足。西村周三氏が厚生・補導担当副学長に就任。
  • 2008年12月22日、2009年1月21日、2月19日、5月22日、10月22日に副学長と引き継ぎ団体交渉が行われた。
    10月22日の団体交渉については寮食堂で開催され、熊野寮自治会、西村副学長と基本確約を締結。団体交渉-確約体制については「団体交渉を行い、合意の上決定する」という文言で決着。
  • 2010年6月21日、文学部新館第3講義室にて副学長団体交渉が行われる。熊野寮自治会、西村副学長と食堂や捜索などの具体的事案についての確約書を締結。
  • 2010年12月17日、赤松副学長と引き継ぎ団体交渉が行われる。
  • 2011年1月29日、バハァドル氏が死去。常任委員会が葬儀・埋葬を手配した。
  • 2012年1月15日、電気容量工事(老朽化対策・増寮)の予算が取れたことを確認。同年4月2日に増寮に関する要求書を赤松副学長に提出。2013年2月に電気工事(分電盤の交換、非常灯の設置など)が実施される。
  • 2021年6月、熊野寮内に設置された格安自販機について、無断で設置されたとして大学側が撤去するよう熊野寮に注意勧告。

熊野寮と機動隊について[編集]

熊野寮には、昔から全日本学生自治会総連合(通称:全学連)の中核派が一部住んでおり、機動隊による捜査、大学当局にによる制圧が行われている。住んでいる寮生の大部分は中核派とは全く関係のない学生であり、熊野寮に住んでいるからといって中核派であると考えるのは誤りである。
現時点で熊野寮自治会は中核派を追い出すことはしていない。京大の学籍を持ってさえいれば、中核派だからという理由で入寮を拒むことは決してしないからである。
現在、大学当局・機動隊による熊野寮の捜査に関しては「中核派の捜査」を理由としているが、この捜査自体が不当な捜査なことが多く、また現場での不当行為が問題視されており、熊野寮自治会は抗議をおこなっている。
捜査の不当性としては、熊野寮とは全く関係のない人物による事件でもあるにも関わらず捜査令状が出され、熊野寮とは無関係な捜査が行われている点が指摘されている。

現場での不当行為については以下の件があげられている。

  • 過剰警備
    捜索場所が数名の捜査員で事足りるにも関わらず、50 - 150名の機動隊を動員して、寮内を不必要に占拠している。熊野寮は生活の場であり、全く関係のない寮生の生活をしている。
  • 令状の不提示
    捜査にあたり、敷地内に入る前には令状を提示すべきであり、これまでに令状を提示することなく熊野寮内に押し入っていることが幾度もある。
  • 警察手帳不提示
    熊野寮への捜査の際に「提示の必要はない」とはっきり言い放つ捜査員が現れるが、これは「警察手帳規則5条(証票(及び記章の呈示):職務の執行に当たり, 警察官, 皇宮護衛官又は交通巡視員であることを示す必要があるときは, 証票及び記章を呈示しなければならない」に違反している。
  • 無関係な寮生の撮影
    捜査員が過剰警備に抗議する寮生や授業に向かう寮生の撮影をすることがある。警察官は捜査に際し、捜査に関係ないものの押収・撮影はしてはいけないとされている。公務中の警察官の撮影が基本的に許可されることと違い、このような行為は肖像権の侵害にあたる。

以下に、過去にあった機動隊による熊野寮への不当捜査などの件ついていくつか紹介する。

  • 2007年3月28日、川端署の警察官が、寮内で焚き火をしていた寮生2名を連行。取り調べで委員長の名前などの熊野寮内の内部情報の提供を強要した。
    これを受け、同年4月16日に熊野寮自治会として警察・大学当局を追求し、同年4月24に京都府川端署に3月28日の内部情報の強要の件に関する抗議文を提出した。
  • 2021年6月24日、京都府警が熊野寮を捜索。免状不実記載(運転免許証と住民票記載の住所が違う)の疑いをかけられた中核派系全学連の活動家が熊野寮を出入りしていたとしたことが捜査要因とされ逮捕した。約140名の機動隊が押し入り、これに対して寮生らは不当捜査、横暴な捜査による人権侵害などと抗議した。

大学当局による学生処分問題と熊野寮の抗議[編集]

近年、大学当局による学生への規制が強まっている。その規制については明らかに学生を威圧し、学生の自由を弾圧するような不当な措置が恣意的に行われており、熊野寮でもこの被害を受けている。

具体例として、2018年10月、熊野寮自治会が大学当局の厚生課に要求書を提出。この際、一人の寮生が職員に囲まれて暴行を受けた。理由として覆面をつけていたために当局は「不審者対応」としている。この対応に対し他の3名の寮生が職員に抗議したところ、その3名に対して大学当局は2019年9月に無期停学処分を下した。

この処分について、寮生が覆面をしていたとはいえ要求書を提出しにきただけであり、職員に抗議した3名の寮生についても暴行を受けた寮生を職員から守ろうとした行為であり、問題があるのは暴行を働いた職員であり不当な処分と考えられている。

また、この処分は大学当局が今後、反抗的な学生に対して威圧し、反抗的な態度を取らせないように脅迫を意味したものとも捉えられる。このような行為が許されると、大学当局が一方的に学生の行動や寮自治を規制し、学生の意思を無視した一方的な決定を許してしまい、学内の自由な雰囲気が失われることとなる。もしも大学当局による熊野寮自治への一方的な決定がなされると、熊野寮が得た権利が失われ、未来の京大生が経済的困窮を理由に学業に打ち込めなくなる状況を解決出来なくなる。

熊野寮自治会はこれに抗議するために2019年10月に「熊野寮生3名に対する無期停学処分の撤回を求める声明」を発表し、「熊野寮生3名に対する無期停学処分の撤回を求める賛同署名」を呼びかけている。

所在地・アクセス[編集]

所在地[編集]

郵便番号:606-8393
京都府京都市左京区丸太町通川端東入ル東竹屋町50 京都大学熊野寮

アクセス[編集]

最寄りの駅:京阪電鉄鴨東線 神宮丸太町駅(丸太町通を東に徒歩5分)
最寄りのバス停:熊野神社前(徒歩2分)
京都大学吉田キャンパスから約1.7km(東大路通を南下、熊野神社前交差点を西進)

登場作品[編集]

テレビ番組[編集]

  • ザ・レジェンド (2007年9月1, 8日放送)
  • ロンブー淳の居座り。(2016年11月11日放送)
  • 月曜から夜ふかし (2018年1月15日放送)
  • 最初と最後にはワケがある (2021年2月21日放送)

参考・関連文献[編集]

  • 『熊野寮五十周年記念誌』上巻・下巻

外部リンク[編集]