潘 勖(はん きょく、? - 215年)は、後漢末期の武将・政治家。字は元茂(げんぼう)[1]。初名は藩 芝(はん し)。
河南郡の出身[1]。曹操に仕えて尚書郎、右丞となる[1]。博識で古い慣習に精通していたため、何度も特別な賜与をされた[1]。文章家としても優秀で、213年に曹操が魏公と九錫を得る際に文章の作成を行なっている[1]。215年に東海の相となるが、任地に赴く前に曹操から引き止められて尚書右丞に任命されるも、間もなく病死した[1]。年齢は50歳余りだったという[1]。
『三国志演義』には登場しない。
参考文献[編集]