清少納言

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清少納言(せいしょうなごん)は、平安時代の宮中女房、宮廷作家である。

出自[編集]

清原氏の出身で、天武天皇の子孫、中流貴族である清原元輔の娘。本名は不明。女房名である清少納言の「清」は、清原氏出身であることに由来する。少納言は当時の官職名の一つだが、何故少納言を名乗ったかは諸説あり、明らかになっていないものの、元輔の最終的な官位従五位上で、従五位下の少納言相当であることが有力とされる。
このため、正しい区切り方は「せい・しょうなごん」であるが、「せいしょう・なごん」とぎなた読みされることが多い。

生涯[編集]

生涯は不明な点が多く、生没年も不詳。

993年頃から、一条天皇の伯父で当時の権力者であった藤原道隆の娘で一条天皇皇后藤原定子に仕える。以降、華やかな宮廷生活を送っていたと思われる。

しかし995年に、藤原道隆が死去。これにより、道隆の弟で娘を中宮に送り込んだ道長と定子の兄(道隆の子)の伊周の間で権力争いが発生。伊周が花山院に無礼をしたことで、伊周が没落し、定子も出家して道長が勝利することになり、大きく運命が変わる。1000年に、定子も死去し、おそらくこの頃清少納言も宮中を去ったものと思われる。

1001年頃に、宮廷生活を描いた随筆「枕草子」が完成し、日本三大随筆の一つとして有名である。

人物[編集]

紫式部日記上で、紫式部が今で言う「傲慢女」的な批評を書いている。

演じた俳優[編集]

脚注[編集]