河原隆正
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河原 隆正(かわら たかまさ、生没年不詳)は、戦国時代の武将。真田氏の家臣。
略歴[編集]
海野棟綱や真田氏の譜代の家老であった。「一徳斎御事蹟稿」によれば、妹・恭雲院が真田氏の当主・真田幸隆に嫁しており、5人の子息(真田信綱・真田昌輝・真田昌幸・真田信尹・金井高勝)を産んでいる。
天正3年(1575年)5月21日の長篠の戦いでは嫡男・宮内助(河原正良)、次男・新十郎(河原正忠)、三男・常田永則らが戦死した。長篠の戦いでは真田氏当主・真田信綱やその次弟の昌輝も戦死し、幸隆の3男・昌幸が当主となっている。「河原家文書」によれば、同年10月17日には真田郷における町屋敷・年貢は信綱から宮内助に宛行われたことを主張し、当主となった昌幸から安堵を得ている。これは唯一残された息子の綱家が成長して家督を相続できるまでの隠居分として与えられたものと見られている。また、隆正は出家して「玄斎」と号したとする説がある。天正8年(1580年)3月21日には高野山蓮華院で長篠の戦いで戦死した息子の供養を行っているとされる。
隆正の没後に家督は四男・綱家が継承している。