江東内戦
江東内戦とはマイクラ戦闘地帯 EBB戦線内において勃発した内戦である。この内戦はゲルマニア第5帝国やソビエツィア社会主義共和国連邦介入もあったほど大規模な内戦となった。
経緯[編集]
江東共和国内にて革命を起こした江東社会主義共和国に反対する江東共和国派が江東社会主義共和国に対して宣戦布告したことで始まった。この内戦は2年間に及んだ。
江東内戦[編集]
江東社会主義共和国政府はこの宣戦布告に驚愕したがそれでも大量の軍を用いて戦った。ここにはソビエツィア社会主義共和国連邦の介入があり江東社会主義共和国は優勢にたたかった。しかしヨーロッパにこれをよく思わない国が一つあった。
ゲルマニア第5帝国介入[編集]
ヨーロッパにてソビエツィア社会主義共和国連邦の介入をよく思わない国があった。それがゲルマニア第5帝国だ。この帝国は独ソ戦以来ソビエツィア社会主義共和国連邦を恨んでいる国家であり今回の内戦に介入した。社会主義を支援するソビエツィア社会主義共和国連邦と民主主義を支援するゲルマニア第5帝国とでのこの戦争はもはや代理戦争であった。
江ソ連合師団[編集]
江東社会主義共和国とソビエツィア社会主義共和国連邦の連合軍の中でも最も恐れられたのが機甲師団だった。ソビエツィア社会主義共和国連邦の教育を受けて強化されていた江東人民軍の機甲師団はその能力をもってして江東共和国を圧倒した。しかしやはり壁となるのがゲルマニア国防軍の装甲師団であった。この装甲師団はソビエツィア社会主義共和国連邦やキッド社会主義共和王国連邦に並ぶ超絶陸軍でありその実力はマイクラ戦闘地帯 EBB戦線の中でも一番陸軍が強い陸軍列強国と呼ばれるキッド社会主義共和王国連邦が「できることならば戦いたくはない。」というほどであった。余談ではあるが第3次世界大戦によって今現在は全面的に機甲師団がぶつかり合っている。
山古陥落[編集]
江東共和国側において第2首都とされていた山古が陥落した。ここには江東人民軍が徹底的な空襲やミサイルによる飽和攻撃などを敢行したため制空権を奪取されたのが敗因と言われている。またソビエツィア社会主義共和国連邦の義勇軍もここに本土から一斉攻勢を仕掛け2正面作戦を強いられていたのも事実だ。
列車砲到着[編集]
ゲルマニア第5帝国によって完成した列車砲が到着した。これにより列車砲の射撃によって江東人民軍の飛行場の滑走路などを破壊していき力を失わせた。この時点でこれ以上の介入は無意味だと考えたソビエツィア社会主義共和国連邦は少しづつではあったものの全面撤退していった。これはソビエツィア社会主義共和国連邦の初の敗北ともいわれている。
江東社会主義共和国崩壊[編集]
ソビエツィア社会主義共和国連邦の撤退、ゲルマニア国防軍の主力装甲師団の到着といった不運が重なった江東社会主義共和国はもはや男女問わず国民を総動員したがそれでも戦局は打開できず、戦争継続能力を失っていき内部から瓦解していき事実上の崩壊となった。そして誰もいなくなった江東共産党中央区(国会議事堂)に入城した江東軍によって江東社会主義共和国全土が解放され内戦は終結した。
戦後処理[編集]
戦後処理として共産主義は撲滅され江東共和国としての再スタートを切ることとなった。しかしながら焦土と化した領土には復興に時間がかかることとなったもののここにはゲルマニア第5帝国の経済援助等があり5年のうちには内戦前の姿に戻ることができた。こうして江東内戦は終幕を迎えることとなった。