江戸三大大火
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江戸三大大火(えどさんだいたいか)とは、江戸時代に江戸で発生した大火の中でも特に有名な3つの火災(明暦の大火・明和の大火・文化の大火)のことである。「火事と喧嘩は江戸の華」といわれるほど、江戸の町に火事は多かった[1]。
明暦の大火[編集]
1657年(明暦3年)に発生した大火。振袖火事、丸山火事ともいう。本郷丸山本妙寺から出火し、江戸城をはじめ江戸市中を焼き尽くした[2]。死者は30,000人から100,000人程度とされており、当時の江戸の人口の1割前後が犠牲になったと考えられている[3]。本所回向院はこの時の死者の霊を祭ったもの。振袖火事の名称は「施餓鬼に焼いた振袖が舞い上がり火災が発生した」という伝承に由来する[2]。
明和の大火[編集]
1772年(明和9年)に発生した大火。目黒行人坂大円寺から出火したため、目黒行人坂の大火ともいう[4]。死者は14,700人と伝えられている[5]。寺の僧侶が放火したことが火災の原因とされ、この僧侶は捕縛されて火刑に処された[5]。
文化の大火[編集]
1806年(文化3年・丙寅の年[6])に発生した大火[7]。車町火事、牛町火事、丙寅火事ともいう[8]。芝車町から出火し、日本橋、京橋、神田、浅草に延焼した[1]。死者約1200人[6]。
脚注[編集]
外部リンク[編集]
- 江戸三大大火 - 東京消防庁