武者小路実篤

出典: 謎の百科事典もどき『エンペディア(Enpedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

武者小路実篤(むしゃのこうじ さねあつ、1885年5月12日-1976年4月9日)は、日本の文豪。

人物[編集]

東京市に、子爵家の末子として生まれる。二歳で父を亡くす。学習院高等科から東京帝国大学文学部社会学科へ進み(一年で退学)、志賀直哉有島武郎里見弴らの友人と『白樺』を創刊し、「お目出たき人」「世間知らず」などでデビュー、芥川龍之介は「文壇の天窓を開け放った」(あの頃の自分の事)と回想している。二度の結婚をへて、宮崎県にコミューン「新しき村」を作り、これは今も埼玉県で存続している。

『愛と死』などのフィクション、『或る男』などの私小説風の作品など多くの小説を書き、1951年に文化勲章を受章した。戦前、帝国芸術院会員に選ばれたが、割と無邪気に戦争協力をしたため、戦後になって辞任、勲章受章を機に復帰した。戦後すぐ「マッカーサーにお礼にいきたい」と発言するなどして、その無邪気さを笑われることもあった。また評論で「人生論」や「恋愛論」を多く書き、戦後は亀井勝一郎がこれに解説をつけて若者によく売れた。筆で描かれた絵は有名である。