正倉院

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正倉院(しょうそういん,Shosoin)は、奈良県奈良市東大寺大仏殿の北西にある木造・校倉造の高床式倉庫である。

概要[編集]

756年(天平勝宝八年)6月21日,聖武天皇の七七忌の忌日に光明皇后は天皇の御冥福を祈念し,遺品など600点あまり薬物60種を東大寺の本尊盧舎那仏に奉献した。正倉(現在の正倉院宝庫)に収蔵し永久保存することとした。

明治以前は東大寺の所管であり、天皇家の直轄下にはなかった。正倉院が内務省管轄になるのは、1875年(明治8年)4月27日からである[1]。明治14年10月にイギリスの皇孫が来遊 した際の記事 によれば、この時正倉院の管理をしていたのは奈良博覧会社であった。明治16年、博物館の規則が改正され、内務省から農商務省へ管轄が移った。この時、正倉院の宝器は農商務省、図書は内務省がそれぞれ管理し、勅封開鍼は宮内省が継続したため、実際には三省合同形式となった。三省合同形式では不都合が多いため、宮内省に権限を集約させるべしとの建議がなされ、1884年(明治17年)に宮内省に管理が一本化された[1]

戦後は宮内庁の所管となった。現在は宮内庁正倉院事務所の管轄となっており、正倉院宝物及び聖語蔵経巻の保存管理、調査・研究・整理・修補及び復元模造のほか正倉・聖語蔵・東西両宝庫等の建物及び土地の管理などを担当している。

奈良の歴史的建造物のひとつであり、日本の国宝に指定されており、またユネスコ世界遺産に登録されている。 正倉院「正倉」外構は事前申し込みにより、公開される。

宝物が国宝指定されない理由[編集]

正倉院御物は戦前は天皇家の所有物であり、戦前からの慣例により文化財保護法による国宝・重要文化財の指定対象外となっていた。 戦後も皇室財産を管理するのは宮内庁であり、国宝を指定するのは文化庁であるため、そもそも所管が異なる。 しかし、1997年には収蔵品を除く、正倉院正倉1棟が例外的に建築物として国宝に指定された。

諸元[編集]

  • 間口約33メートル
  • 奥行約9.4メートル
  • 床下約2.7メートル
  • 総高約14メートル
  • 床下には直径約60センチの丸柱

正倉院展[編集]

宝物は、毎年1回、正倉院展で公開されている。

公式ページ[編集]

正倉院

参考文献[編集]

  1. a b 高橋亮一(2015)「正倉院の近代 : 明治時代における保存政策とその過程」國學院大學博物館學紀要 40,pp. 93-119