楠木光正

出典: 謎の百科事典もどき『エンペディア(Enpedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

楠木 光正(くすのき みつまさ、? - 永享元年9月24日1348年10月22日))は、室町時代中期の武将楠木正成に始まる楠木氏の一族と思われるが系統などは不明である[1]。通称は五郎左衛門尉[1]。法名は常泉[1]

生涯[編集]

永享元年(1429年)9月室町幕府の第6代将軍足利義教春日社に参詣するのを待ち伏せるため、僧侶に変装して南都に潜伏する[1]。しかし計画が露見して幕府により捕縛され、9月24日に六条河原処刑された[1]

処刑の際、辞世の句と和歌を3首ほど残したが、これらが「天下の美談」と後に悪名高くなった義教に対して「天下の美談」と言われた[1]

脚注[編集]

  1. a b c d e f 安田元久 編『鎌倉・室町人名事典コンパクト版』新人物往来社、1990年、169頁

参考文献[編集]