楊 醜(よう しゅう、? - 199年)は、中国の後漢末期の武将。張揚の家臣。
張揚に仕えていたが、198年に張揚を殺して曹操に呼応しようとした[1]。しかし同僚の眭固が張揚の報復に立ち上がり、楊醜は殺害された[1]。