植松仁
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植松 仁(うえまつ ひとし、昭和49年(1974年)6月21日 - )は、元ショートトラックスピードスケート選手、元競輪選手。兄に植松純(元ショートトラック選手)。既婚である[1]。
経歴[編集]
5歳でスピードスケート・ショートトラックを始め、岐阜県立岐阜工業高等学校卒業後は就職して働きながら競技を続けようとしたが、就職予定だった会社の倒産もあって無職のまま続けたという。平成8年(1996年)に全日本選手権で総合優勝する。同年から翌平成9年(1997年)の世界選手権で代表となり、平成10年(1998年)の長野オリンピックの男子500メートルで銅メダルを獲得する[1]。
その後、競輪選手に転向して平成12年(2000年)に日本競輪学校に入学する。平成13年(2001年)に日本競輪選手会岐阜支部の選手として8月に三重県松坂競輪場でデビューする。平成22年(2010年)に引退し、通算510戦で116勝を挙げた。引退理由は肝臓への負担だったという[1]。
平成26年(2014年)に起業し、アスリートのセカンドキャリア支援、研修講師としてモチベーションをコントロールする方法、職場で目標を達成するために必要な心の持ち方、リーダーシップの習得などを教えていた[1]。