森敦
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森敦(もり あつし、1912年1月22日ー1989年7月29日)は、作家。
人物[編集]
長崎市生まれ、朝鮮・京城育ち。第一高等学校中退。横光利一に師事し、1934年には太宰治、檀一雄、中原中也らと同人誌『青い花』を創刊、「東京日日新聞」「大阪毎日新聞」(のちの毎日新聞)に「酩酊船」を連載したが、単行本にはならなかった。戦後には各地を転々としながら、同人誌『立像』に参加、また電源開発、近代印刷などに勤務する。
1973年、『季刊藝術』に「月山」を発表し、当時最高齢記録の61歳で芥川賞を受賞した(のち黒田夏子に抜かれる)。1987年『われ逝くもののごとく』で野間文芸賞を受賞。
新井満はCMディレクターをしていて、檀ふみと芥川賞をとった森敦を共演させようと森を訪ねたら、檀ふみの父親を知っていると言われて、森に師事して小説を書き、のち芥川賞を受賞した。
柄谷行人は「マルクスその可能性の中心」を『群像』に連載していた時、森が「意味の変容」を連載していたので、ともに文学とは関係ないことを書いているので心強く感じたと言っている。