桓 威(かん い、生没年不詳)は、三国時代の魏の武将・政治家[1]。
下邳国の出身[1]。縁故の無い低い身分の出自で、明帝の時代である237年から239年の間に18歳で『渾輿経』という著書を出して道家の教えに沿う意見を示した[1]。その才能を認められて魏に登用され、青州の斉で門下書生、司徒署吏となり、後に安城県令となった[1]。これ以上の記録は無いため没年は不明で[1]、生年は曹操が死去する220年頃と推測される。
『三国志演義』には登場しない。