桐野 利儀(きりの としのり、? - 元和5年(1619年))は、江戸時代初期の武将。島津氏の家臣[1]。
通称は治部左衛門。大口に住んでいたが、鹿児島に移った。元和5年(1619年)に義弘が死去すると、殉死した。法名は機岳了活[1]。