桐島聡
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桐島 聡(きりしま さとし、1954年1月9日 - 2024年1月29日 )は広島県出身のアナーキズム系新左翼活動家。東アジア反日武装戦線のメンバー。
人物[編集]
広島県立尾道北高等学校卒業後、1972年4月に明治学院大学法学部に進学。明治学院大学在学中に黒川芳正や宇賀神寿一と出会い、東アジア反日武装戦線に「さそり」班として参加し、連続企業爆破事件に関与。
1975年5月19日に東アジア反日武装戦線の主要メンバー7人が逮捕されたのを契機に逃亡。直後に黒川が所持していた桐島の家の鍵からまだ警察が把握していなかった桐島の存在が判明し、桐島は警察に指名手配される。そのため、指名手配の身となって逃亡生活を送ることになった。
現在も生死も行方もわかっておらず、東アジア反日武装戦線のメンバーの中で一度も逮捕されていない唯一のメンバーである。起訴後に国外逃亡した大道寺あや子と共犯の事件(三班が合同で起こした間組爆破事件など)に関しては刑事訴訟法254条2項の規定により共犯者の公判中という形で公訴時効が停止しているが、大道寺あや子と共犯ではない事件に関しては公訴時効が成立している。
逃亡してから約49年後の2024年1月25日に入院していた病院で自分の名前を名乗り、4日後に死亡した。
脚注[編集]