桂峯院
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桂峯院(けいほういん、生没年不詳)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての女性。丹羽長秀の正室。織田信長の庶兄・織田信広の娘で、信長の養女[1]。
生涯[編集]
信長の姪にあたり、織田氏の重臣だった丹羽長秀に永禄6年(1563年)に嫁いだ(『丹羽家譜』)。長秀はこの時29歳のため、桂峯院はそれより多少若いくらいではないかと思われる。
長秀との間には元亀2年(1571年)4月18日に嫡子の丹羽長重が生まれている。『丹羽家譜』では長重のほか、稲葉典通に嫁いだ娘を産んだとしているが、『丹羽歴代年譜』からは出産したのは長重のみと記録されている。
没年に関しては不明。法名は桂峯院殿(『丹羽歴代年譜』)。ただし、『系図簒要』では法号が深光院と記録されている。
脚注[編集]
注釈[編集]
出典[編集]
- ↑ 岡田正人 『織田信長総合事典』 雄山閣、1999年、181頁。
参考文献[編集]
- 岡田正人 『織田信長総合事典』 雄山閣出版、1999年。 。