桂峯院

出典: 謎の百科事典もどき『エンペディア(Enpedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
Wikipedia-logo.pngウィキペディアの生真面目ユーザーたちが桂峯院の項目をおカタく解説しています。

桂峯院(けいほういん、生没年不詳)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての女性丹羽長秀正室織田信長の庶兄・織田信広の娘で、信長の養女[1]

生涯[編集]

信長の姪にあたり、織田氏の重臣だった丹羽長秀に永禄6年(1563年)に嫁いだ(『丹羽家譜』)。長秀はこの時29歳のため、桂峯院はそれより多少若いくらいではないかと思われる。

長秀との間には元亀2年(1571年)4月18日に嫡子の丹羽長重が生まれている。『丹羽家譜』では長重のほか、稲葉典通に嫁いだ娘を産んだとしているが、『丹羽歴代年譜』からは出産したのは長重のみと記録されている。

没年に関しては不明。法名は桂峯院殿(『丹羽歴代年譜』)。ただし、『系図簒要』では法号が深光院と記録されている。

脚注[編集]

注釈[編集]

出典[編集]

  1. 岡田正人 『織田信長総合事典』 雄山閣、1999年、181頁。

参考文献[編集]