柔然

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柔然(じゅうぜん)とは、モンゴル系と考えられる遊牧民である[1]

概要[編集]

モンゴル高原では4世紀頃までは鮮卑が台頭していたが、その鮮卑が中国に南遷すると柔然が台頭する[1]。元々柔然は鮮卑の拓跋部に従属していたが、五胡十六国時代に拓跋部が建国していたが滅びると匈奴劉衛辰に従属した[1]。そして華北を統一した前秦が瓦解して拓跋部により北魏が建国されると、柔然はその圧力を受ける[1]。しかし4世紀末に柔然は後秦と連携しながら北魏に対抗し、勢力を拡大してゆき、5世紀に入るとモンゴル高原を中心にして東は朝鮮、西は西域に至る広大な範囲を勢力圏とした[1]。これを背景に402年に初めて遊牧民の首長の称号である可汗を称した[1]。以後、柔然は北魏と対抗するためにその敵国である北燕と通婚したり、北涼を通じて東晋など華南諸国とも外交を展開するなど、徹底して北魏と対立し、南北朝時代までこの状態は続くことになる[1]

脚注[編集]

  1. a b c d e f g 三崎『五胡十六国、中国史上の民族大移動』、P164

参考資料[編集]