枝下用水

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枝下用水(しだれようすい)は、愛知県豊田市を流れる農業用水。豊田土地改良区が管理運営している。矢作川を水源としている。用水路の総延長は約70キロメートルであり、1552ヘクタールの農地を灌漑している。パイプラインの上部は枝下緑道として整備されている。

歴史[編集]

江戸時代から矢作川の水を農業用水とする計画があったが、豊田市南西部の水田用地は矢作川の河床よりも高かったためかなわず、農業用水は農業用ため池に頼る時代が長かった。明治時代になって国や愛知県によって用水の開削が開始され、その後近江商人の西澤真蔵(西澤眞蔵)らが引き継いで完成させた。1894年(明治27年)の完成後にも事業家が経営を引き継ぎ、日本で2例だけである企業的な用水経営が行われた。西三河地方の南西部には明治用水もあったため、枝下用水と明治用水の間ではしばしば水争いが起こり、枝下用水事件と呼ばれる裁判さえ起った。1902年(明治35年)には企業的経営から枝下用水普通水利組合による経営に移行した。1926年(大正15年)には明治用水普通水利組合と合併している。

戦前の1937年(昭和12年)から戦後のこの地はトヨタ自動車のおかげで発展し、兼業農家が急増している。1972年(昭和47年)7月の豪雨「四七災害」の際には、枝下用水の用水路が豪雨に耐え切れずに豊田市市街地が浸水した。その後放水門が増備・補強され、遠隔監視できる中央管理センターが設置されている。

灌漑区域[編集]

豊田市美里5丁目にある越戸ダムのすぐ下流に取水口がある。この地に水源管理事務所もあり、枝下川神社も建立されている。豊田市街地の西方を流れ、豊田市立童子山小学校の西側で西用水と中用水に分流する。これより南西、かつての碧海郡高岡町が灌漑区域の中心である。名鉄三河線が灌漑区域の中央部を縦断しており、土橋駅から三河八橋駅までの区間が灌漑区域である。枝下用水の灌漑区域の西端からすぐ外側には金山地区があり、この場所では逢妻川の水を揚水する金山揚水が建設されている。

顕彰[編集]

用水開削に大きく貢献した西澤真蔵の顕彰碑は灌漑地のあちこちに建立されており、各地の寺院では慰霊祭・西澤講・追弔会が行われている。

参考文献[編集]

  • パンフレット「枝下用水」水土里ネット豊田 豊田土地改良区、2018年

外部リンク[編集]