林三郎 (軍事評論家)

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林 三郎(はやし さぶろう、1904年6月10日[1] - 1998年)は、日本の陸軍軍人、軍事評論家。元参謀本部ロシア課長。

経歴[編集]

インドボンベイ市生まれ。父は外交官の林曾登吉、弟は評論家の林達夫京都市立錦林小学校京都府立第一中学校を経て[2]、1925年陸軍士官学校卒(37期)[3]。歩兵少尉、第9連隊付[4]。1934年陸軍大学校卒(46期)[3]。1935年参謀本部勤務(ロシア班)課員。参謀本部部員、ポーランド国駐在員を経て[4]、1938年4月モスクワに派遣され、1939年ソ連大使館付武官補佐官[3]。1941年8月参謀本部ロシア班長[5]、1943年10月参謀本部ロシア課長[6]、1944年6月参謀本部編制動員課長、1945年4月阿南惟幾陸軍大臣秘書官[7]。敗戦時の階級は陸軍大佐。戦後、外務省東欧課に勤務しつつ、『太平洋戦争陸戦概史』(岩波新書、1951年)などを著した[1]。「日本の安全に関する研究協議会」(事務局:内外調査会)会員[8]。1998年死去、94歳[1]

著書[編集]

  • 『太平洋戦争陸戦概史』岩波書店岩波新書)、1951年
  • 『ソ連の軍事政策について』新世紀社[日安研books]、1969年
  • 『関東軍と極東ソ連軍――ある対ソ情報参謀の覚書』芙蓉書房、1974年
  • 『参謀教育――メッケルと日本陸軍』芙蓉書房、1984年

脚注[編集]

  1. a b c デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説 コトバンク
  2. 根津朝彦「桑原武夫の思想形成 : 幼年期から京都一中時代」『京都大学大学文書館研究紀要』第12号、2014年3月
  3. a b c エヴァ・ルトコフスカ. “日露戦争が20世紀前半の日波関係に与えたインパクトについてPDF”. 防衛省防衛研究所『平成16年度戦争史研究国際フォーラム報告書』. 2020年3月29日確認。
  4. a b 林三郎『関東軍と極東ソ連軍――ある対ソ情報参謀の覚書』芙蓉書房、1974年
  5. 半藤一利『私の昭和の戦争』アスコム、2007年
  6. 岡部伸『「諜報の神様」と呼ばれた男――連合国が恐れた情報士官・小野寺信の流儀』PHP研究所、2014年
  7. 木村洋. “最近の日本諜報史研究に関する問題点の指摘 ルーズベルト親電・ヤルタ密約PDF”. インテリジェンス研究所. 2020年3月29日確認。
  8. 林三郎『ソ連の軍事政策について』新世紀社、1969年