東條ちとせ
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東條 ちとせ(とうじょう ちとせ、文久元年(1861年) - ?)は、明治時代の女性。東條英教の妻。内閣総理大臣で陸軍大将となった東條英機の生母である。旧姓は徳永(とくなが)。名のちとせに関しては千歳とも書かれる。また姓は現在では東条とも書かれる。
略歴[編集]
福岡県小倉にある浄土真宗の万徳寺住職の末の娘であるという。姉らが大きな寺院に嫁ぐ中で、小倉の歩兵第14連隊に当時いた東條英教から結婚を申し込まれた際、周囲の猛反対に遭いながらも結婚した。明治17年(1884年)12月30日に東条英機を出産している。没年は不明であるが、最後の子である質雄を明治36年(1903年)に出産しているため、ここまで存命していたのは明らかである。
子息[編集]
英教との間に7男2女に恵まれている。
- 男子