東京大学理科三類

出典: 謎の百科事典もどき『エンペディア(Enpedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

東京大学理科三類、略称理三(りさん)は、東京大学教養学部に設けられたコースである。

勉強垢界隈では離散と略されている。

概要[編集]

東京大学は独自の教育課程を採用していて、学部1,2年は全員教養学部前期課程の所属とし、2年次後期以降に教養学部を含めた他の学部に進学という形をとっている。そのため、高校卒業した学生を受け入れているのは教養学部のみである[注 1]
教養学部の1,2年は、3年以降の想定される編入先の学問分野毎にかつての旧制高等学校のように6つのコースに分かれていて、このコース単位で入学試験が行われている。このうち、医学部医学科へ進学する人のためのコースが理科三類である。他のコースが一学年の定員数百人であるのに対し、理科三類はわずか90~100人であるのが特徴。

受験生の立場であれば、「東京大学の医学部医学科=理科三類」と考えて差支え無い。理科二類など理科三類以外のコースから医学部医学科に進学することも可能だが、入試で理科三類に合格するより難しいとされる[注 2]

入学[編集]

入学試験に合格する必要があるが、理科三類は他のコースと比べて合格が難しく、他大を含めても、京都大学の医学部と並んで日本最難関の受験コースと言われている。
なお合格後は、所属学部は教養学部であっても、学内外で事実上医学科生として扱われる。

教養学部前期課程の最長在籍年数は3年で、2年次前期時点で修得単位未達の場合、1年次後期の科目から単位を取ることになる。このため、東大では2年次後期の原級留置を「降年」と呼んでいる。

進路[編集]

ほとんどの学生が、2年次後期以降に医学部医学科の教育を受けるが、他の学部に進学する人も少数いる。なお、理科三類→医学部に進学・卒業後、多くの人は医師になるものと推定されるが、医師国家試験に合格できない人もいるらしい。

歴史[編集]

新制東京大学発足時、理科三類は無く、1962年(昭和37年)まで、理科二類と他大学にあったプレメディカルコースより学部3年相当の医学部入学者を募集していた。
1962年に現在の理3ができ、翌1963年(昭和38年)から医学部後期課程進学は理3と他類から若干名というかたちになり、他大学のプレメディカルコースは廃止された。

誤解[編集]

よく、東京大学の上位90~100人が理科三類に行く、という誤解を持たれることが多い。しかし、東大一位合格が理科三類以外から出る年も珍しくなく、実際の入試の成績という点で見た場合、東京大学の上位1割に相当する300~400位=理科三類の合格ラインと考えるのが妥当である。
理科三類は事実上の医学部医学科[注 3]であり、理科三類に合格する実力があっても、法経文教理工農薬といった分野に興味があって医学科への進学を考えていない人は、理科三類ではなく[注 4]他のコースを受験する[注 5]方が圧倒的に多数派である。

関連項目[編集]

[編集]

  1. 工学部のみ高等専門学校卒業生の編入学を受け入れている。
  2. 理科2類で10名程度枠が確保されているが、文科各類を含めた他類からは1名進学があるか無いか程度である。
  3. 東大医学部には保健学科からの伝統がある4年制の健康総合科学科もあり、主に理科2類から進学する。
  4. 例外的なケースとされるが、医学科を志望しなくても、最高偏差値ということで目指す受験生も少数いる。
  5. 例えば、全国的に僅少な学科である航空宇宙工学科や天文学科志望(主に理科1類からの進学)の東大受験生。旧制時代も、医学教育は単科官公立医科大が全国各地にあった一方、航空学科はほぼ東京帝大のみで浪人を経ての入学者が多かった。