村上義光の墓(むらかみよしてるのはか)とは、奈良県吉野郡吉野町吉野山に存在する村上義光の墓である。
吉野神宮のほぼ南およそ1キロの、道の西側に建つ石の柵に囲まれた宝筺印塔が村上義光の墓である。義光は鎌倉時代末期の信濃国の武士で、鎌倉幕府の討幕運動で活動する後醍醐天皇の皇子・護良親王に従って各地で奮戦したが、元弘の乱で幕府軍に吉野山を攻められて陥落した際、親王の身代わりを務めて蔵王堂の仁天門上で自害した。
墓の右側に、天明3年(1783年)に立てられた忠烈碑も存在する。