本山 養明(もとやま ようめい/やすあき、生没年不詳)は、戦国時代の武将。本山氏の当主。
父は本山伊典(八木重澄)。
細川政元が永正の錯乱により不慮の死を遂げると、永正5年(1508年)あるいは永正6年(1509年)に大平元国、吉良氏、山田基道らと連合して岡豊城を攻め落とし、長宗我部兼序を滅ぼし、土佐国中央部に勢力を拡大したという(『土佐国編年紀事略』)。
養明の死後は、子の茂宗が跡を継いで、茂宗の時代にさらに勢力を拡大することになる[1]。