日本人民戦線
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日本人民戦線は、日本の新左翼系団体[1]。日本共産党(行動派)の下部組織[2]。
概要[編集]
議長は平岡恵子。所在地は東京都江東区猿江[3]。機関紙は『人民戦線の旗のもとに!』。機関紙の発行所「日本人民戦線・運営委員会」の所在地は東京都墨田区江東橋[4]。公式サイトでは、「人民戦線は人民による、人民のための、人民の世界(コミュニティー国家、その政府と社会)をめざす運動と闘いである!」と宣言している[3]。
1992年刊行の『新雑誌21』によれば、母体は「日本共産党行動派」(大武礼一郎議長)で、数年前に左翼運動の共闘の場として形成された[5]。
暴力団対策法制定に際しては、行動派と交流があった野村秋介や遠藤誠の呼びかけにより[6]、新右翼系団体「民族派青年協議会」や、暴力団関係者による「任侠市民連合」と共闘して反対運動を展開した。1992年1月19日の「日本人民戦線・赤旗びらき」で「三派共闘」による第一回目の集会が開かれた。同日に神田で「三派共闘」のデモ、銀座で「極道の妻たち」のデモが行われ、マスコミに取り上げられた[5][7]。3月1日には三派のメンバー約200人が銀座でデモ行進を行い[1]、この様子は漫画にも取り上げられた[6]。
脚注[編集]
- ↑ a b 「暴力団と新左翼、新右翼が暴対法反対デモ 東京・銀座で200人」『朝日新聞』1992年3月2日付朝刊
- ↑ 木下昌明の映画批評 : 「カティンの森」批判の前提に疑問 レイバーネット日本(2010年2月14日)
- ↑ a b 日本人民戦線/人民戦線実践論/人民戦線重要文献 日本人民戦線
- ↑ 『人民戦線の旗のもとに!』2016年(平成28年) 12月25日付 448号、日本人民戦線
- ↑ a b 1991年(平成03年) 機関紙・『人民戦線の旗のもとに!』 第05号(07月12日付)月刊雑誌『新雑誌21』(編集人・丸山実)の報道記事 日本人民戦線(アーカイブ)、2017年1月18日閲覧
- ↑ a b 暴排条例と暴対法と反対運動 鈴木邦男をぶっとばせ!(2012年2月16日)
- ↑ 吉村奈津編『緊急レポート なぜ闘うの?――素敵!! 闘う男たちのドキュメント――平成のヤクザと右翼、そして暴力団新法』現代文室、1993年、85-86頁