平岡恵子 (政治家)

出典: 謎の百科事典もどき『エンペディア(Enpedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

平岡 恵子(ひらおか けいこ、1943年5月4日[1] - )は、日本の政治家。日本人民戦線議長[2]日本共産党(行動派)書記長。元奈良県上牧町会議員。

経歴・人物[編集]

香川県出身。1962年、松阪屋大阪支店に入社。1963年、日本共産党に入党。1970年、松阪屋を退社。1971年、日本民主主義婦人同盟を結成、副会長に就任。1975年、奈良県上牧町会議員に当選。1980年、日本共産党(行動派)が再建され、中央委員会書記局員、婦人部長に選出された。日本共産党(行動派)中央委員会政治局員・書記局員・財政部長・婦人部長、日本民主主義婦人同盟委員長、(刷新)日本母親大会代表を務める[1]

1980年代後半、行動派党の大衆団体として日本人民戦線が結成され、その代表となった[3]暴力団対策法制定の際には、行動派と交流があった野村秋介や遠藤誠の呼びかけにより、日本人民戦線、新右翼系団体「民族派青年協議会」、暴力団関係者による「任侠市民連合」が共闘して反対運動を展開した。1992年2月29日に三派の代表が記者会見し、日本人民戦線運営委員会委員長の平岡は「社会結社である任侠団体を特別な立法で解体しようというのは、法律的に憲法違反、政治的には独裁権力、社会的にはファシズムの表れだ」などと述べた[4]

2002年11月9日に開催された遠藤誠弁護士のお別れ会に参加した[5]

高橋乗宣と浜矩子の共著『2012年資本主義経済大清算の年になる』『2014年戦後最大級の経済危機がやって来る!』を日本人民戦線の機関紙上で高く評価した[6]。日本人民戦線運営委員・佐藤正の著書『カチンの森事件の真相――ゲッペルスの日記に基づく 真実は隠し通せない』(2014年)に「推薦の辞」を寄せた。

2016年時点で行動派党の政治局員[7]。2019年1月14日、大武礼一郎が行動派党の議長職を退任して森久書記長に引き継ぎ、平岡が新書記長に就任した[8]

脚注[編集]

  1. 1.0 1.1 日外アソシエーツ編『政治家人名事典――明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年、516頁
  2. 日本人民戦線/人民戦線実践論/人民戦線重要文献 日本人民戦線
  3. 『新雑誌21』(1991年3月号)
  4. 「新法の治安法化危ぐ 市民、反対集会も(組織暴力 対策法スタート)」『朝日新聞』1992年3月1日付朝刊
  5. 遠藤誠弁護士のお別れ会開催される 平沢貞通氏を救う会(2002年10月9日)
  6. 『人民戦線の旗のもとに!』2014年1月号 2014年は現代歴史上の大転換の年になる 日本人民戦線
  7. 2006年革命英雄記念祭と梅原マサエさんの入魂式盛大に開催! 日本人民戦線ブログ(2006年4月11日)
  8. 『人民戦線の旗のもとに!』第476号(2019年4月25日)

関連文献[編集]

  • 日外アソシエーツ編『現代日本人名録 1990 下 に~わ』日外アソシエーツ、1990年

外部リンク[編集]