成 倅(せい さい、? - 260年)は、中国の三国時代の魏の武将。弟は成済[1]。
魏の騎督で、260年に曹髦が権力を掌握していた司馬昭を除くために挙兵したので弟が中護軍の賈充に従って迎撃し、成済は賈充に曹髦をどうするべきか処置を尋ねると、賈充は「お前たちを養ってきたのは今日のためであり、後から罪に問われることはない」と言ったので曹髦を刺殺した[1]。しかし事態を収拾するために司馬昭から曹髦の殺害は成済の単独行動とされて大逆罪を着せられ、弟の罪に連座して三族皆殺しにされた[1][2]。
『三国志演義』でも史実同様に描かれている[1]。
- ↑ a b c d 小出『三国志武将事典』P258
- ↑ 中国の思想刊行委員会『三国志全人名事典』徳間書店、1994年、189頁
参考文献[編集]