張 達(ちょう たつ、生没年不詳)は、蜀、後に呉の武将。
張飛の部下で張飛に恨みを持っており、同僚の范彊と共に張飛の寝首を掻いて孫権の下に出奔した[1]。記録はこれだけである。
『三国志演義』では第81回で張達と共に張飛から兵士全員の白装束を3日で用意するようにと無理な命令を出され、猶予を願い出るが許されず折檻され、殺される前に張飛を殺した設定となっている。222年の夷陵の戦いの際、劉備の勢いを恐れた孫権は范彊と張達を劉備に差し出し、劉備は張飛の息子・張苞に斬らせて仇をとらせた。
参考文献[編集]